5×2 ふたりの5つの分かれ路@飯田橋ギンレイホール

ふたりの5つの分かれ路
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フランソワ・オゾン監督のある夫婦の離婚を五つのエピソードを遡ることで描いた映画。
初見の感想はあまり芳しくないものであった。断片的なエピソードから離婚の原因などを推理しようとは思ったものも、渡された手がかりが余りにも少なすぎてわからないし、モノローグが語られることのない過去のエピソードは観客に投げ出されままの感があり、非常に分かりづらく感じた。
だが、映画を見終わったあと恋人と感想を話しあったところその印象は変わった。きっかけは恋人が「ジル(夫)って嫌なやつだね」って言ったこと。自分は妻が悪いとも夫が悪いとも思わず、ただ淡々と見ていたのでその感想が意外であったので、その事についていろいろ話すことで、オゾンの意図がわかったのであった。
とにかくまずこの邦題が最悪なのである。「ふたりの5つの分かれ路」というタイトルから予想される物語は、離婚の原因となった二人が選択を迫られた5つのエピソードを観客が恋のミステリーとして探るような感じであるが、5つのエピソードには別れ道なんて存在しないし、そもそもはっきりとした離婚の原因は描かれないのである。そのため離婚の原因を追跡しようとした観客は、断片的な挿話を前に戸惑うだけなのだ。
この映画の正しい観賞法は恋人同士で見にいって、映画を見終えた後、夫婦のどちらに離婚の責任があるか言い合うことである。責任といった難しいことじゃなくてもいい。ただどちらがイヤなやつか、どちらが気に食わないやつかを言い合い、その理由をお互いに説明することでオゾンの意図がわかってくるだろう。おそらく、意見は真っ二つに分かれる。つまり男性はジル(夫)の味方になり、女性はマリオン(妻)の味方になるだろう。そしてお互いの解釈の違いに驚き、以下に自らの解釈がジェンダーに縛られているかを認識することだろう。
おそらくこの映画に適切な邦題をつけるならば「5つのエピソードに関する2つの解釈」だろう。原題の「5×2」の5は5つの挿話を示すが、2のほうは決して「分かれ道」のようなものを示さない。実際の映画は夫婦どちらのモノローグも語られない第三者的な視点で5つの挿話が示されるだけで、映画の中には「5×2」の2については明らかにされない。つまりこの2は映画を見る我々の解釈、典型的な女性的な解釈と男性的な解釈、よっては共通した記憶としてのマリオン(妻)側の解釈、ジル(夫)側の解釈を示すのであって、観賞後の話し合いで明らかになるのである。
以下、5つのエピソードに対する典型的な男女双方からの解釈を試しに書いてみるが、まだ見てない方にとってはネタバラシになるので隠して書いとく。
1離婚とセックスと別れ
男性的解釈

まず明らかなのは妻側の女優の魅力の無さである。どうやら彼女は太ったようである。最後の別れのセックスにも応じようともしない。さらには妻に浮気した過去があるようである。さらに彼女はその現状に満足しているようだ。

女性的解釈

夫はもう別れたのに関わらず太ったかどうかを訊く。無理やりセックスを強要するくせに、別れ際にやり直せないかと情けなく自分勝手なことを言う。

2夫の兄とそのパートナーとのホームパーティー

夫が家で育児をしているのに、妻は帰りが遅い。パーティーのために化粧直しをするのはどうも夫のためではなく、これから来る客のためのようだ。そして客として来た兄がベタベタと妻を触る。さらにその兄のパートナーと妻は気が合うようだ。パーティーの後片付けは夫婦両方でやるが、妻はアルミホイルの場所を知らないなど家事のことについておろそかにしすぎである。そのくせに先に電気を消して寝てしまう。

客人を招くときは化粧をして楽しげに振舞うものなのに、夫はどうも楽しくなさそうだ。それにも関わらず場を盛り上げようと下品な猥談をする。そしてどうやら夫は妻と寝るより子供とともに寝るのがいいようだ。

このエピソードでは実際には夫の兄とそのパートナーはゲイのカップルにも関わらず、夫側の微妙な嫉妬心が描かれていることに注目。確かに最初のシーンで妻の腰の辺りを触る夫の兄がゲイだということは分からず、その後に明らかになるため、男性の観客は夫側の嫉妬心に同化させられる構造になっている。夫が話す乱交パーティーについてのシーンはいろいろ解釈しがいがあるとは思うがここでは割愛。

3出産

忙しい仕事の間に突然、予想より早く妻が産気付いたことが知らされる。そして生まれた子供は未熟児であった。口うるさい妻の母から逃げ、結局妻には会うことができなかった。

大切な分娩の時に夫は立ち会ってくれない。しかもはっきりとした理由があるわけではなく、わざと遅れてきたり、逃げたりしている。

他のエピソードでも同様だが、妻側の両親夫婦は女性的解釈からは「理想的な夫婦」、男性的解釈からは往々に破局する「現実的な夫婦」として描かれている。

4結婚式と初夜

妻は夫が酔った勢いで迫るも、服のことを気にして一度風呂場に引っ込んでしまう。にもかかわらず妻は夫が酔いつぶれて寝てしまった後、一人で抜け出して、こともあろうに浮気をしている。

夫は求めてきたのにも関わらず先に寝てしまう。切なくなって外に出たところ目にするのは理想的な夫婦としての妻の両親が踊っている姿だ。知らない男に急に迫られるが抵抗するも、夫との満足が得られないので応じてしまうが、先に寝るほうが悪いと感じてもいる。

妻の浮気は実際には夫のあずかり知らぬことなのだが、観客としての男性はこれを目撃すると同時に、エピソード1で妻の浮気がほのめかされてることから、実際の夫(ジル)も恐らくはこのあとそれを知ることになっているだろう。その結果、男性の観客は離婚の原因を妻の浮気に帰する解釈が可能となっている。

5バカンスでの出会い

夫の昔の恋人が登場するが、こちらは明らかに妻側の女優よりも美しい。それに比べ、妻との出会いのきっかけはふとした偶然によるものだ。やはり離婚するのは正しい選択なんだろう。

夫は前の恋人とも4年間で別れている(妻との結婚生活も4年間だったことがエピソード1から明らか)し、そもそも浮気っぽいやつだ。さらに自分では先に寝ちゃうくせに(エピソード4)恋人に先に寝られるのは嫌らしい。

極端な形で男女双方の解釈を書いてみたが、オゾンのテキストはそのように観客自らのジェンダーによって無意識的に操作される構造を持っていると言える。よって実際には何の解釈(映画の中では一人称的なモノローグ)も与えられず提示される5つのエピソードが自然に2通りの解釈を導くのである。それがこの映画のタイトル「5×2」である所以で、この映画は観客の解釈をお互いに交換することによって初めて完成するようなものであるといえよう。

しかしこの邦題はホントひどいなー、配給会社の人がちゃんと映画を掴んでないのがバレバレだし、ネットでの感想みても見当違いばっかりだ。「分かれ道」や「分岐点」や「選択」といったことは全く描かれてないし、というかオゾンもそんなこと一言もいってないのに、みんなそっちに引っ張られて見当違いの絶賛か解からなかったとかいう反応ばっか…いやータイトルって重要だね…
みたい