サイバーバロックの系譜2:弐瓶勉とサイバーバロック?

前回のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20110609/p1)が好評だったら続き書くとか行ってたけど、実際には自分の好き勝手やってるだけで、サイバーバロックという空想概念を駆使して自分の好きなものを他人に勧める俺ワールドを展開したいだけです。ともあれ、期待してお読みいただいた方々にも納得行けるようなお話をデッチあげられればと思い、今回は弐瓶勉について。
正直、私は弐瓶ファンとしてはかなりのニワカでして、そもそもあんまりマンガを読まないせいもあるんですが、ふとしたきっかけ(実はそのきっかけこそ、このエントリのシリーズの要だったりするんですが、それはまだ隠しときます(笑)に弐瓶作品を読み、すぐに虜になりました。
そうこう読む内に弐瓶勉作品がどういう系譜にあるのかも当然考えて、まあ作品から明白に取れる意匠はたくさんあれど(例えばBLAME!のセーフガードがクリス・カニンガムのロボットデザインだとか。でもそもそもああいうアンドロイド的デザインの元ってなんでしょうね。フリッツ・ラングメトロポリスあたりだと思うんですが。あとこの手のデザインはアニメだとErgo Proxyがモロやってますよね。あれはむしろ弐瓶勉デザインだわって。)自分的には何に位置づけるかを考えてきました。
まあそもそも今はシドニアの騎士で、何故か王道(萌え)ロボット漫画をやっているわけで、弐瓶作品を一つの軸でくくるのが暴挙である(BLAME!学園もあるし…)のを承知しつつ考えていっても、実のところBLAME!にしてもあれをサイバーパンクっていうのは無理があるのではないだろうかって思います。
BLAME!(2) (アフタヌーンKC)
弐瓶 勉
4063141942

デビュー作(?)のBLAME! 拳銃いや違った重力子放射線射出装置(笑)がフィーチャー

シドニアの騎士(3) (アフタヌーンKC)
弐瓶 勉
4063106802

シドニアの騎士!ついに大々的に萌えに走った(笑)
もちろん、「日本的な文脈」におけるサイバーパンクの要素はBLAME!にはあると思います。なによりも主人公が無口で孤独で、一人で拳銃をぶっ放すあたりが、まさにブレードランナーというか、ブレードランナー以外のなにものでもない。でもサイバーパンクにとっての拳銃ってたまたまブレードランナーがそうであっただけなような気がして本質的な要素だとは思えない。もちろんハードボイルドの要素はもともとのサイバーパンクにもあるとは思いますが、なんでデッカードはそんな貧素な武器で大層な任務を遂行せなならんのか(笑)とつっこみいれたくなります。
BLAME!なんですが、この話、サイバーパンク的にというかそもそも電脳世界を描いた物語のなかでもかなり異質です。ってのはBLAME!におけるサイバースペースにあたるネットスフィアは、そもそも誰もアクセスできない状態で、実際に物語の描写においても、描かれるのは荒廃した遠未来の現実世界、あのメガストラクチャーばかりだから。つまり、BLAME!とはどちらかといえば反転したサイバーパンクというか、サイバースペースに入れないけどよくわからん現実世界におるっていう話なのであり、その現実世界がすべて機械で作られているという逆説的設定なのだ。そしてこの設定でこそ「大地って何だ。」という霧亥のセリフが生きて、シボが垣間見るネットスフィアの映像がすごく感動的なんだけど、あれってつまりウィンドウズOSの背景だよねっていうドライな笑いをさそっている。
なんか脇道それたけど、つまり言いたいことは一番サイバーパンクに近そう(っていうかそう言われるときもある)BLAME!にあってもサイバーパンクとは違うなにか成分の方が大きいってことが言いたかったわけです。そうしてサイバーパンクにこだわらず弐瓶作品を考えると実際には、なんだかわからんけどカッコイイ豪華なガジェット、ヒロイックな主人公と絶対王政的権力、個人の内面を描く以上に全体のシステムを描く、そういった意味ではサイバーバロックとして読めてこないか?っとなるのです。
シドニアの騎士にしても、あれは確かに弐瓶勉にとってはかなり大胆な作風の転換なんだと思うけど、サイバーバロックとして見た場合(まあどこがサイバーなんだよwwっていうツッコミは置いといて)、ワイドスクリーン・バロック的なヒロイックストーリーってことに収まる。だいたいのところ弐瓶勉のキャラクターはもともとのサイバーパンク的な一人称的語りや個人の内面の探求というよりも、もっと様式化された見た目のカッコ良さ成分が強めであったわけだから、それがちょっとコミカルな要素に触れてシドニアの騎士の主人公の谷風長道になってもおかしくもない。そもそもがBLAME!の主人公の霧亥だってどこか可笑しさを誘うキャラであったわけであるから。
と、そういう表層的な意味での類似性を置いといても、やはり弐瓶勉作品の一貫したモチーフは巨大建築であることはまちがいない。そしてその意味においてもやはりこれは個人というミクロの内部の広大な領域を描く傾向にあるサイバーパンクというよりも、絶対的な巨大な建築(権力)の中で翻弄させられるミクロなヒーローというサイバーバロック的要素(というのをまあ俺が言ってるだけなんだけど)に溢れていないだろうか?
ちなみに以前、このサイバーバロックの話をしたときid:inumashさんに「こういう話をするなら『CASSHERN』(というか紀里谷和明)を外すことはできないと思うんだ」という指摘を受けて、映画版CASSHERNのカッコイイシーンだけネットでみたんだけど(全部見なくてすみませぬ…)、あったしかにこれは自分が思っている意味でのサイバーバロックだと感じた。確かに紀里谷のPVとかSF的要素が異常にど派手なビジュアルと混合していて、まああくまでも表面的な意味でサイバーバロック的要素に満ちていると思うし、前回触れたアニメ『岩窟王』にも近いと感じた。
それでまたこれが運命のヘンテコな出会いみたいんだけど、弐瓶勉バイオメガをちょっと読んで、あれこれキャシャーンじゃないって思ったら、非常に腑に落ちたわけです。まあそもそもオリジナルのアニメのキャシャーンを見てないからちょっとよくわからないんだけど、たぶんオリジナルのキャシャーンの設定にもサイバーバロックの要素ってのがあって、それが弐瓶勉バイオメガに影響を与え、オリジナルのキャシャーンを映画化するに当たって紀里谷が弐瓶勉バイオメガをモチーフとした当たりの流れがかなりありそう(宇多田ヒカルバイオメガの帯を書いているんだけど、どうも当時の夫に勧められて読んだ可能性があるらしいから)。
まあ本当にザレゴトなんで別に落ちとかないんだけど、俺のなかではこれからは「弐瓶勉はサイバーバロック!」ということになりました(笑)。
BIOMEGA 6 (ヤングジャンプコミックス)
弐瓶 勉
4088776224

圧倒的な巨大さがまさにバロック
CASSHERN [DVD]
紀里谷和明
B0001A7D0O

今見ると思った以上にデザインが弐瓶的だった件ww