伊藤計劃『虐殺器官』と共に読むべきブックリスト

すでに読了後2ヶ月くらい経つが、せっかくなのでメモっておく。
虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)
伊藤 計劃
4150309841

昨年、夭逝した伊藤計劃SF小説。各界でも話題の本であるから、特段私が付け加えることなどないので感想と、虐殺器官をより面白く読むため、または虐殺器官を通して、人間、言語、戦争といったものに興味を感じた人のためのブックリストでも作っておこうと思う。しかしながら、各界で話題でとなりながらも、一部論壇ではこの本は全くと言っていいほど扱われていない。未だセカイ系などラノベなどのどうでもいいものを批評と称しているが、それはそれで意味のあることだが、なにゆえこの本を扱わないのか。前島賢のこの本セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史 (ソフトバンク新書)ですこしだけ触れられているが、現代の論壇や批評においてはかなり無視されているといっていいんじゃないか。ただこの伊藤計劃虐殺器官ラノベセカイ系としても読めるあたり、やはり深い作品だと思う。
さて感想なんだが、面白かった。というか、私が日々妄想していることをまさしく小説に書いてくれた。人類のテクノロジーの発展による戦争の変容。情報技術の過度の発達による倫理的なジレンマ。そういった細かいギミックを散りばめながらもエンターテイメントとして一級のクオリティを保っている。ただ、難点を言えばオチがいささか弱いことと、学術的な知識の元ネタが分り易すぎることか。まあ後者は私がそのような関心を予めもっており、関連書籍を読んでいたことによることに負うので、一般読者の知的好奇心を奮い立たせるには十分なものである。そしてこれらの欠点を加味したとしても、現代の日本の小説の一級品であることは間違いない。
さて以下、虐殺器官に関するブックリストと簡単なコメントを書いていく。
人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (上) (NHKブックス)
スティーブン・ピンカー 山下 篤子
4140910100

まずは言語と人間について。もちろん、虐殺器官の元ネタの一番最古のものはチョムスキーだと思われるが、チョムスキーの話を簡単に読める本はあまりないので、まずはピンカーの本をすすめる。NHKブックスからかなり翻訳されているが、まずはこの本から読むと良いと思う。内容は多岐にわたるが、基本的に人間の生得的な能力について書かれている。虐殺器官を読んで、生成文法、言語構築主義への批判、心の理論、倫理的感情の生物学的側面などに興味を持った方は必読であろう。
子ども兵の戦争
P.W. シンガー Peter Warren Singer
4140811161

次はこれ。虐殺器官に出てくる子ども兵による虐殺が現実のことだと知っていただきたい。現代の戦争は国家対国家の正規軍の戦いではなく、国家から雇われた民間軍事会社民兵組織というような構図になってきている。そして民兵組織はその安価な軍事力として子ども兵を利用している。そのことに関して書かれたドキュメンタリー・リポートがこの本だ。はっきりいって凹む。リアルあずみ状態。。
カラシニコフ I (朝日文庫)
松本 仁一
4022615745

次はこれ。戦争や紛争をカラシニコフという武器の側面から考えるルポルタージュAK47とそれから派生するアサルトライフルは現代でも、そして虐殺器官が描く未来においても紛争が起こる場所でたびたび登場する。現代の戦争を理解するには、その物理層とも呼べる銃器、兵器についてある程度の理解をすることは必須である。
民間軍事会社の内幕 (ちくま文庫 す 19-1)
菅原 出
4480427198

現代の戦争において重要な役割を果たしている民間軍事会社について。主にブラックウォーター社に関するドキュメンタリーである。冷戦以降の紛争解決において民間軍事会社が果たしている役割は大きく、まるで戦争業務のアウトソーシングである。というかまさしくそう。虐殺器官ではさらに発展して、戦争業務のコンサルタントまで描かれるが、リアリティのある話だ。
非合法員 (徳間文庫)
船戸 与一
4198929343

ここからドキュメンタリーや学術系の本ではなく、エンタメ本。伊藤計劃はご存知のとおりメタルギアソリッドのノベライズでも有名であり、ある意味ゲーム小説(つまりは元祖ラノベだ)的エンタメ小説家としても考えられるが、ここで同列に並べてみたいのが80年代日本で流行した冒険小説だ。船戸与一は当時の冒険小説人気作家であり、ゴルゴ13の原作者としても知られるが、武装秘密組織の一員が事件に巻き込まれ、世界各国でハードボイルドな活躍をするという構造はまさに虐殺器官にも引き継がれている。紛争や戦争に翻弄される個としての人間、文化間の衝突、こういう主題を扱ったものは80年代のバブル崩壊とともに日本の小説界では極めて少数派になっていったが、ある意味で伊藤計劃は80年代冒険小説の末裔とみなすことが可能ではないかと思う。90年代日本の物語がセカイ系に代表されるような閉塞したセカイの中での心理学化社会学化したものになったのと対照的に、冒険小説は世界や社会、経済との葛藤の中でもがく個を表現している。そういった冒険小説が持っていた批評性を伊藤計劃はかろうじてひき続いているように思える。
クラッシュ (創元SF文庫)
J.G. バラード J.G. Ballard
4488629121

お次はSF。伊藤計劃はSF作家なのだから当然ではあるが、SFの影響はある。特に主人公が見る夢の描写や生体機械である鞘(ポッド)のギミックなどはSFの中でもバラードの描くシュルレアリスティックな表現と類似しているように感じる。機械とのセックスというよりか、いつの間にか機械と生体の境界が曖昧になっているというか。ただ伊藤計劃の描写はそれほどレトリックにこったものではなく、読みやすい文体である。
OVA BLACK LAGOON Roberta’s Blood Trail Blu-ray001〈初回限定版〉[Blu-ray]
片渕須直
B003M3NH1G

そして最後はみなさんの予想を裏切りマンガ、アニメ作品を。サンデーGXで連載中の広江礼威ブラックラグーン、及びそのテレビアニメシリーズと今年発表されたOVA作品。ブラックラグーンはオタク的な層にはすでに評価が高い作品であり、広江礼威平野耕太などと並ぶ、今後の漫画界のスターだと個人的に思っているが、いかんせん日本の批評や論壇のなかでは完全に無視されていると思われる。広江本人が述べているように、商社マンが東シナ海で拉致された挙句、海賊になって悪事と良心の葛藤の中でもがく姿、社会運動や革命の挫折と欺瞞、こういった要素は船戸与一などの冒険小説から得られた着想である。もちろん、メイドや双子が出てくるように、萌え要素のサービスとしてオタク的な消費に耐える形のエンタメ作品ではあるが、その社会情勢の描き方などは他のマンガ、アニメ作品にはないリアリティを持っている。また90年代後半から00年代初頭の真下耕一の少女ガンアクションものアニメや2丁拳銃に代表される香港ヤクザ映画などブラックラグーンを語るべくポイントはいくらでもあるが、重要なことはガンアクションというフォーマットを利用することでリアルな世界観、さらにはマフィア社会を描き、その中で葛藤する個人的な倫理というものを描いている点で、この作品はただのエンタメの枠を超えていると思う。


以上、かなりの私見をまぜたが、虐殺器官を中心として考えられる物語群は、リアルな社会の暴力を武器やSF的なガジェットを用いた想像力によって描くという手法で、日本の物語の中で非常に興味深い位置を占めていると思っている。