ドロヘドロ1〜10巻

自分はそれほどマンガ読みではないが、マンガに対してもそれなりに分析的に考えることは好きなんで、このようなカテゴリを今回作ってみる。キッカケは最近読んだマンガが非常に考えさせられるものだったからだ。それがこの林田球ドロヘドロ』である。
ドロヘドロ 1 BIC COMICS IKKI
林田 球
4091882714

まだ完結していない作品だけに、ここでこのマンガについて語りきってしまうのはためらわれるが、完結のされ方によっては、ここ10年くらいのマンガのなかで最良のものになると思われる。複雑に張り巡らされた伏線が回収されるのか否かが、最終的な評価にはつながるとは思うんだけど、まあ回収されなくてもこのマンガは既にAAランク+だなってくらいだ。
しかしどう説明したらよいだろうか、このマンガを。ファンタジー的ギミックに満たされた世界における、擬似同人的、もしくは、メタ同人的なキャラの関係性を主題にしたマンガとでも言うべきなのだろうか。絵的には、人間の断面が多く描かれるグロテスクな描写や、アクション性の高い表現など、士郎正宗のマンガに似たところを感じたけど、SF的な緻密な世界観を描くのが目的ではなく、もっとキャラ同士の関係性を描くのが主眼にあるのだろう。その意味では著者自身が影響を受けたというとおり、ジャンプ漫画的だし、もっといえばヤオイくさいのである。
その点、思いっきり割り切っていってしまえば、このマンガのテーマはパートナーシップについてである。パートナーっていうのは、一般的な意味(ヤオイ的にはカップリング)でもあり、このマンガ世界内の意味でもある。ドロヘドロには、「魔法使いの世界」と「ホール」と呼ばれる世界の二つがあるのだが、「魔法使いの世界」には当然、魔法使いが存在して、ホールには魔法が使えない人間が存在する。そして魔法使いには「パートナー」という制度(?)もしくは概念が存在する。この辺このマンガはある程度、場当たり的な展開を見せるために、「パートナー」がどのようなものかはっきりと説明されることはない。ともかく、魔法使いの多くはパートナーを持っており、色々な仕事とかを二人一組で行うことになっている(それに対比して結婚制度があるのかは謎である)。このパートナーの概念は男女の違い、つまりはヘテロセクシャルを超えたところにあるため、その組み合わせは性に縛られない。だがしかし、そこにはある種の恋愛感情、恋愛関係のようなものを感じさせるところに、このマンガの非常に重要なポイントがある。
作品内概念としての「パートナー」は基本的に魔法使いの世界のものではあるが、外部からこのマンガを読む人にとっては、この「パートナー」概念がこの作品全体に影響していることはすぐに分かる。そもそもこのマンガの主人公はトカゲ頭(に魔法によってされた)男「カイマン」と餃子屋のカンフー使い女の「ニカイドウ」であり、彼らは明らかにパートナーシップ(カップリング)の絆によって結ばれている(言葉で書くといかにこのマンガの設定がメチャクチャであることが分かるw)。この点で、カイマンの頭がトカゲであることは物語において解き明かされるべき謎として描かれているが、作品外からはこの謎の理由は明らかである。それは端的に去勢であり、要するにカイマンはトカゲ頭になることによって男性性を剥奪されているのである。このことによって、カイマンとニカイドウは男女の組み合わせでありながら、ヘテロセクシャル的な性愛、恋愛関係が成立してしまうのを常に先延ばしにされるのである。また、物語においてカイマンの頭が元に戻ることは、このパートナーシップの喪失を意味することになり、実際、カイマンもニカイドウもトカゲ頭の問題が解決したあとの関係性に対する不安を語るシーンが何度も描かれている。
以上のような、ヘテロセクシャル、もしくは恋愛関係を超越したパートナーシップについては他のキャラクターにも当てはまる。主人公の「カイマンxニカイドウ」のパートナーシップ(カップリング)以上にそれを感じさせるのは、魔法使いである「心x能井」である。魔法使いである彼らは、物語の設定においても公式にパートナーであるが、それと同時に作品全体を貫く「パートナーシップとは何か?」という問いに対する理想的答えであるように思われる。互いに互いを思い合い、他方がピンチであるときは片方がそれを助ける。まさにジャンプマンガ的な「友情・努力・勝利」が描かれているようにも思える。しかしながら、「カイマンxニカイドウ」と同じく「心x能井」も成熟した男女である。そのため、彼らにおいても性愛、恋愛関係が成立してしまうのを先延ばしにするためのギミックが必要であり、それが魔法使いのマスクなのである。ドロヘドロの世界では、なぜだかよく分からない(笑)のだが、魔法使いは通常、悪魔に作ってもらったマスクをかぶっているのである。そして、そのマスクは大概において、ドクロや心臓のような我々にとってはグロテスクであったり、奇怪であったりするものである。このマスクによって我々はこの世界の人物が、リアルな性を持った人間であることを忘れ、マンガ世界におけるキャラとして認識することを助長させる。
さらに、マスクの持つ意味、それ以上にマンガにおけるキャラクターの絵における意味に関して、ドロヘドロは読者を戸惑わせながらも、魅了する。私は先ほどヘテロセクシャルや男女の恋愛関係について書いてきたが、本当のところ「マンガのキャラクター」にそのような関係は成立するのだろうか?というか、虚構的な存在である「キャラ」が性別を持つとは一体いかなることなのだろうか?それは単に「キャラ」が男女の身体表象を持っているという以上にどんな意味があるのだろうか?一つの物語を超え出てて、同人誌的、二次創作的に広がりつつある「キャラ」という概念を考えるうえでも、ドロヘドロは非常に興味深い作品であることは確かである。
以上、思い当たることをズラズラと書いてきた。まだまだ語り足りないことは多いから、今後も考えてみたい(大葉餃子を作って食べながらドロヘドロを語る会をしたいと考えているw)。能書きはどうでもいいから、ともかくマンガ好きな人にはぜひとも読んでみることを薦める。現代の日本のマンガ文化が産んだこの奇形的な作品は、おそらく、萌え的な視点からでも少年マンガ的視点でも、さらには日常マンガ、ファンタジーマンガといった様々なジャンルを超えて入っていくことができる。まだ完結していないけど、現状においてかなりの傑作には間違いないだろう。
ドロヘドロ 6 (6) (BIC COMICS IKKI)
林田 球
4091882765

なんとなく煙が表紙である巻も張っておく。煙はドロヘドロの中において恒常的なパートナーが存在しない人物として描かれており、そのパートナー不在がこの物語を展開させるが、そんなことおいといてもかなり良いキャラ(笑)。というか、一度全部呼んでしまうとこのマンガがキャラ萌えマンガとして読めてしまうのは間違いない。