気合飽き

これまた回文。人間力でも、やる気でも、意欲でも、気合でも、くっガッツがでも、何でもいいが必要だ。しかしナントカ力っていうのは、なんというか欺瞞に満ちた表現なので、気合でいいと思う。確かにそういうものが必要なのだが、どうやってそれを作るのかわからない。というか、そういう力は自明に自律的に存在しているのか、それとも存在していないのかどちらかな気がする。自由意志の問題と少し似ている。
昔、友人が「飽きる」ということの美学的重要性を指摘していた。確かにそうだ。飽きるということはちょっと説明が難しい。

満足することと、飽きることは、互いに似ているけれど、対極的なことである。どちらも欲望が充足されていることには間違いないが、その充足に対する態度が異なっている。満たされた欲望を手にとって「よし、これでもう十分だ」と語ることと、「もう、これでいっぱいだ」と語ること。過去の欲望に関しては同じ条件を満たす述語であるが、未来に対する態度の差があるのだろう。

そもそもやるべきこととか、やりたいこととか、欲望とか当為とかがこの世界に存在するのだろうか。そんなことを考えたいのか、考えるべきなのか…。ただstate of affairが存在すればいいんだけど、メンドクサイな。
何をしていた、等と言えば笑われるだろう。(以下略)
そのことについてはおいおい書いていきます。
今後のことは、何もわからないが。とにかく、お疲れ様です。なんとか生きてます。
更新が滞って心配してくれた人に幸アレ。