政治的に正しい食

別にフェアトレードの話とかじゃないけど、衣住以上に政治的に正しい食という問題は難しい。俺は食には手を抜けない性分であるので、よく食べている内容の話をするとぶるじょわだがなんだが批判?されることもある。これには「食のモッズ」という俺オリジナルの言い訳がある。
モッズが服装のことに異常な関心を燃やし、自分たちと対抗する世代や階層に以上に自らが着飾ってることで、その価値観に反抗したように、俺は食で反抗しているのである。自らの年収に見合わない食事をとることで、支配階層が享受できる楽しみを剽窃しているのである。
もちろん半ばギャグである。しかし半ば本気だ。ある意味、俺は衣や住に関してはもう一生どうしようもない事柄がありうる。松涛に住むとか、フェラーリを運転するのは不可能である。だが食に関してはかなり可能なことがまだまだ多いと思う。それにその顕示性ゆえに、卓越化が内派してしまう消費財(貧乏人が高級住宅地や高級車、高級なブランドにこだわることは成金として見なされるだけなのだ)よりも顕示性がない食のほうが世の階層的構造をぶっ壊す可能性を秘めているのではないだろうか。いや用はお金をかけなくても美食は可能であり、高級な食事や食材だけがグルメといわけではない。まあ衣住もそうなんだけど。