中間発表
「ロック概念をめぐる音楽雑誌の言説の構造――『ロッキング・オン』、『ミュージック・マガジン』誌を題材に」
0.0序
音楽の一ジャンルである「ロック」概念は音楽雑誌において、音楽自体の特定のスタイルや技法としてそれらの言及されのではなく、世界のポピュラー音楽状況における広範なパラダイム・シフトに関するそれぞれの認識によって言及され、さらにその言及がロック概念を構築すると共に、音楽雑誌における音楽批評の性格をも変容させることを明らかにする。
1.0ポピュラー音楽学における「ロック」概念をめぐる諸問題
1.1価値、真正さ
長らく問われてこなかった「価値判断」の重要性――ポピュラー文化の美学
高級/低級の区別と自律性/機能性
価値そのものではなく、真正さの問題
1.2ジャンル
音楽に内在する本質的指標ではなく、真正さをめぐる象徴闘争の場
1.3ロック場における三つの指標
「エンターテイメント」、「アート」、「アウトサイダー」2.0日本の音楽ジャーナリズムにおける『ミュージック・マガジン』と『ロッキング・オン』
2.1『ミュージック・マガジン』と中村とうよう
「カウンター・カルチャー」との結びつき
中村の「ホンモノの大衆音楽」
80年代後半の「ワールド・ミュージック」
2.2『ロッキング・オン』と渋谷陽一
「ミュージック・マガジン」への「カウンター」
渋谷の「エリート主義」批判とポピュリズム3.0「90年代」の「ロック」のあり方
3.1ストーン・ローゼス論争
増井修と鳥居賀句の論争
「ロック」か「ハウス」か
3.2マニック・ストリート・プリチャーズ事件
90年代にいまだロックであることの意味3.3「ロックの死(終わり)」をめぐって
「ロックの死」言説
「ロックの死」に対する戦略的本質主義
日本のロックジャーナリズムの変化4.0結論
で反応は、主に1と2,3に明確な関連性を感じられない、さらには結局1.3の南田さんの話以上のものがなにがあるのか?
コバケンさんからは、「なんかホントに書きたいのは2,3であって、美学の論文だからって1をつけたような感じは否めない」とのこと。
ってことで、考えるべきことは、まず一つは論文のレトリックとして、最初に理論そのあとケーススタディというのはあまり面白くなく、むしろ2,3のなかに1の理論的な部分を織り込み、有機的つながりを見せること。
もう一つは、もっと根幹に関る問題で、そもそもの動機である「何故ROの投稿記事はあのような過剰に自己の実存を盛り込んだものになっているか?」をもっと追求した方が良いのではないか、ということ。
この問題は自分の中では、過去にあったロックとロック・ジャーナリズムにあった蜜月が、「ロックの死」によって失われることにより失われ、それでも「ロックが生きている」ことを示す延命措置として、ROのもっていたある面が肥大化し、ついには「妄想系」となったと考えてます。
これについては、やはり過去のロックとロックジャーナリズムの蜜月という批評に関することや、大きな意味での90年代論など、考えるべきことがイッパイであります。
あともう一つの問題としては、やはり洋楽受容と批評の問題という日本の独自の問題系であって、これはユリイカでの北田さんの話と関係があると思いますが、考えることがイッパイあるなー。
かけるのか?かけるのか?卒論。