90年代のロック(前半)

ストーン・ローゼス(MMではロージス、ここらへんから仲の悪さが覗える)をめぐる、ROとMMの対立は90年代のロックに対し、両誌がどのようなスタンスをとっているのかが、如実に表れてるのではないか、という試論を考え中。
しかし、89年にアルバムを出し世間をにぎわして、94年末まで全く音沙汰も無く、その間にはグランジオルタナカート・コバーンが死ぬという波があって、ようやくセカンド出すという90年代の前半の動きはなんやら、今から思うと感慨深い。
RO的にはローゼスのあと、マンチェだ!マンチェだと大騒ぎし、増井御大による無謀ともいえるプッシュにより一時代を築いたのであるが、MMにはそこら辺ほんと冷ややかで、マンチェ一派はもとより、ブラー、スウェードもほぼ無視状態で時代はオルタナになっている。それでもMMの年間ベストにはザ・ザやニュー・オーダーの『リパブリック』がランクインするのはやはりわざとなのかなー。
ともあれ、95年に渋谷ゴッドが増井に『おいビースティーを取り上げろ、バカが!』というお達しがあるのは、渋谷的にいつまでも『おマンチェまんせい!』の増井に業を煮やしたのであろう。MMにビースティーを捕られまいと、ここで見せる『ビースティーはロック』論はやはり渋谷の功績であろう。ここら辺が謎の増井解雇事件につながるのであろうか?
しかし、わからんのがプライマルの『スクリーマデリカ』に対し、ROはほとんど評価していないのである。インタビューの態度が悪いのせいなのか?次のアルバム『GIVE OUT BUT DON'T GIVE UP』では一転して評価するのであるが、俺のロック正史の中では『スクリーマデリカ』は名盤であるが、次作は失敗作だった気がするのであるが…
手元にMMの92年2月号がないため、MMが『スクリーマデリカ』をどう評価してたのかはわからないが、ここら辺に両誌の変なネジレがあるような気がしてオもろい。
以上よくわかんない分析だが、ロッキング・オンミュージック・マガジンを当時呼んでいた人がいたらなんでも言ってください。

ところでラジオでかかってたジャクソン5はやたらめったらかっこいいですが、マイケル・ジャクソンノーベル賞をあげるのは断固反対です。