バークリーの門を叩く、その1

予告どおり、これ読んだぜ。
憂鬱と官能を教えた学校 上---【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史 調律、調性および旋律・和声 (河出文庫 き 3-1)
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まだ上巻だけだが、とりあえず感想書いとく。
はっきりいってとても面白かったし、バークリー・メソッドの入門としても分かり易かった。鍵盤の図も乗ってたりして、独習もできる。後半はそういう実学的な部分が多いのでオレも研究室から借りた鍵盤片手に、スケール弾いたり、コード鳴らしたりしながら読んだのでそれなりに時間がかかった。
全体的な雰囲気は前に読んだhttp://d.hatena.ne.jp/shinimai/20100428/p1アフロディズニーよりも、より講義っぽいというか語り口調で、途中でわけのわからん駄洒落とかも言っている(笑)。多少、説明が冗長なとこもあったりするけど、初心者にはそっちのほうが分かりやすいし、たまに生き抜きとして笑いがあってよい。
しかしながら、何にもまして私がこの本をアフロディズニーより高く評価するゆえんは、楽理的な体系に対する態度の違いだと思った。菊地・大谷はこの本では、バークリー・メソッドの限界を強調して、その音響理論から基礎付けされた音韻の理論に対しても理論としての正当性に常に懐疑の目をはさんでいる。その他の音楽理論純正律の理論やリディアン・クロマチック・コンセプトに対しても、彼らは非常に懐疑的で、それらが擬似科学であって、科学理論のようなものではないと強調する。この点、アフロディズニーでの菊地・大谷は自らが疑似科学であることを認識しながらも、その疑似科学的態度をまっとうすることで大風呂敷を広げており、なんだかなーって思った。まあ疑似科学を自認して面白いことを言うこと自体は別にいいですが、自分は疑似科学だって言いながら、お前も疑似科学だろ、みたいな言い方で既存の自然科学に言及することは非常によろしくない。
ともあれ、この本は良いです。楽理的なことに多少興味があれば是非とも読むといいと思う。まあもちろん、これだけではバークリー・メソッドの本の一部しか分からないけど、これを読むだけでも音楽の理解が少し拡張できると思う。
さて以下は細かい感想とつっこみです。(ページ数は文庫版を参照)

初期のラジオでエルヴィス・プレスリーを聴いても、ベースは何年のフェンダーで、このスタジオのアンプは何だとか、このシンバルはジルジャンだ、とかいった情報を聴き分けて、そのことに熱狂したわけじゃないですよね。(55)

ロック・ミュージックが音韻的な聴取に基づいていた例として出されているところなんだけど、これははっきり言って菊地・大谷のロックに対する意識が甘いだけだと思う。セオドア・グラシクがRhythm and Noise: An Aesthetics of Rockで述べているとおり、初期のロックンロールにしてもその快楽の主たる部分は音響的な部分にあったと言われる。ジョン・レノンなどの多くのアーティストが、エルヴィスの魅力をそのレコードを通して聴かれる独特な声とサウンドにあることを証言している。確かに、初期のロックのレコーディングではその演奏がどのベースでどのアンプでどんなドラムを使ったかといったか、という音響的な情報は伝わらない。
しかしながら、使用楽器や使用機材による音響特性に注目するというのは決してロックの美学の本質ではない。ロックの美学の本質は、ある演奏が録音されたときに表出するサウンドの全体であって、私はこれはストレート・フォトの美学に近いと思われる。多くのロック・ミュージシャンは使用機材に対してのこだわりは確かにあるが、それ以上に最終的な録音のサウンドに対する関心の方が強い。
おそらく菊地・大谷はこの本が出た当時、流行っていた「音響派」といわれるジャンル群をそれ以前のロックと差別化するために、このような音韻的/音響的>ロック/音響派という図式を当てはめており、確かにそのような図式は日本の音楽批評の言説では一般的だ。しかしながら、音響派がときとしてポスト・ロックと呼ばれるとおり、この断絶はそれほど決定的なものではない。というのは、ロックは常に音響、つまりサウンドにセンシティヴであったからである。ポストと称されるものは、差異とともにその連続性に注意すべきだ。


テクノイズ。つまり、その楽器が鳴らされる時に不可避的に含まれるノイズという要素、概念があります。(88)

述べられるとおり「テクノイズ」は佐々木敦の作った概念であるが、ここでの菊地・大谷の定式化はより汎用的で非常に使いがってよいものになっているし、佐々木がテクノイズ・マテリアリズムで述べたより分かりやすく、彼のいっていたことの核心を明らかにしていて非常によい。
ときおりテクノとかの音楽をシュトックハウゼンの現代音楽の路線上として考えたり、ピエール・シェフェールなどのミュージック・コンクレートの延長線上として考える言説があるけど、あれはなんかでっちあげのカンジがした。そこで「テクノイズ」という概念を使うことで、そのような偽史を作らなくてもテクノやヒップホップ、またはオヴァルなどの前衛的な表現を理解することができると思った。以前、テクノイズ・マテリアリズムは読んだが、これをきっかけに読みなおそうと思う。



その他にも啓発的なところがいっぱいあった。何よりも菊地・大谷(というかたぶん菊地さんだと思うけど)の音楽と料理を類比的に語る語り口は、なんという正統な美学者!と思ってしまった(笑)。そのうち、美学研究室でも授業してくれないかなww



さらに標柱の石塚潤一「シリンガーとバークリーの理論をめぐって」は非常に参考になる良い論文。とくに20年代アメリカのポピュラー音楽作曲家が、クラシックの教養をもつ亡命ロシア人やユダヤ人などによる私塾によって音楽理論を学んだという指摘は、ポピュラー音楽史を考えるときにも重要な点になるだろう。



最後に一つだけ残念な部分。誤植と思われるところが散見された。しかも理論的な実技的なところで、コードシンボルの記号が抜けてたりするところがある。これは私も含め初心者である人を混乱させるので、改定していってほしい。まあ鍵盤の表やら、コードシンボルとか扱っているので編集が非常にやっかいだと思うけど、がんばってください。メジャーのダイアトニック・コードでⅢm△7ってのが出てきて、なんど考えてもⅢはマイナー7thを取るのにどうして、おかしいな、オレの理解が足りないのかなって30分くらい悩んでしまったよ!