一冊でわからなかった論理学

論理学 (1冊でわかる)
グレアム・プリースト 菅沼 聡
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岩波のこのシリーズに手を出すのは初めてだったけど、「一冊でわかる」とかって誇大広告にならないのか(笑)
ともかくこれは論理学の入門書として書かれた本の邦訳だ。現代の論理学の広大な範囲全体をカヴァーしようとしているので、個々の話題に関してかなりあっさりとした記述が目立つ。
はい、これが連言の真理表ね、これが様相演算子、これが時制演算子、これが妥当性の帰納法(の一パターン)と、とにかくテンポが速い。以下の目次を見てくれればわかるとおり、条件文を扱うよりも前に、様相論理が登場して、あっというまに演繹的推論から帰納的推論に話が移っていく。これで論理学がわかるのは、「1を聞いて10知る」顔回のような天才だろう。

はじめに

  1. 妥当性―何から何が導かれるのか?
  2. 真理関数―それとも、そうじゃない?
  3. 名前と量化表現―「無」というものがあるのだろうか?
  4. 記述と存在―ギリシア人はゼウスを崇めたか?
  5. 自己言及―この賞のテーマは何か?
  6. 必然性と可能性―起こることは起こるべくして起こる?
  7. 条件文―「もしも」がどうだって言うんだ?
  8. 未来と過去―時間は実在するか?
  9. 同一性と変化―けっして変わらないものはあるのか?
  10. 曖昧さ―危険な坂道を転げ落ちないためには?
  11. 確立―参照クラスの奇妙な喪失事件
  12. 逆確立―無頓着ではいられない!
  13. 意思決定理論―大いなる期待
  14. 小史と読書案内

問題/用語集/参考文献
世界について語る論理(清水哲郎
日本の読者のための読書案内(菅沼聡)

一冊でわからないとダダをこねていてもしょうがないので面白かったこともコメントしておこう(しかしながら、この日本語でいうところの「わかる」っていうのは実は可能性を含意するようにも思われるから、「わかることができる」と解釈できる。つまりわからないのは、俺がバカだからかもしれない)。
全体として、この本は論理学それ自体に入門するというよりも、論理学の面白さを伝えて、論理学にまつわる哲学的な問題について考えてみる本である。全体を通して、神や存在、同一性、変化、時間など形而上学における様々な未決の問題に触れられている。

宇宙論的証明

これは、すべてのものには原因があるから、この世界の根源的な原因が存在する。それを神と呼ぶならば、髪は存在する、というような論証である。しかし「すべてのものには原因がある」といのは実は明確ではなくて、二つの解釈がありうる。

  1. ∀x∃y xCy:どのxに対しても、xを引き起こすyが存在する
  2. ∃y∀x xCy:あるyが存在し、いかなるxもyによって引き起こされた*1

ということで、これらは明らかに同値ではないし、1は2から導かれるが逆は成り立たない。宇宙論的証明はこの曖昧さにつけこんでいるというわけだ。

特徴づけ原理Characterization Principle

これは、「しかじかの条件を満たすものは、その条件を満たす」という当たり前に思われる原理。これは自明に思われるが、ある条件Cxを満たす唯一の対象が存在する場合に、真であり、そのような対象がないときは成り立たない。この原理がその記述によって指される対象が存在しない場合にも成り立つと、非存在物の存在論的証明のような論点先取を許すことになるからである。しかしながら、存在しない対象を主語とする真である文「古代ギリシアの最強の神はギリシア人たちに崇拝されていた」は普通にあるように思われる。

宿命論

宿命論とは「起こることは何であれ必ず起こるのであり、起こったことは避けられないものだった」という見解。具体的な例としてアリストテレスは、「もしわたしが明日交通事故に巻き込まれることが真だとするなら、わたしは明日必ず交通事故に巻き込まれる」という条件法から、前件肯定を付け加えることで、後件の必然性を帰結すると主張した。しかし、これは

  • □(a→b)
  • a→□b

を混同しており、実際には前者である。ところが、後者とaという前提から□bを推論している。そして、前者と後者は様相論理において同値ではないから、宿命論は成り立たないといえる。
だが、過去に起こったことがらに関してp→□pという法則を利用して、別な形の宿命論を立てることができる。これは様相論理の範囲では以上のように、妥当ではないことを示すことができない。(このもう一つの宿命論に関して、著者は議論を開いている。時制演算子を用いるとたぶん、この宿命論も妥当な推論ではないと思うけど、ちょっとわからん。)

条件文は一体なんだ?

条件文とは「pならばq」のような文であるが、これの意味論や真理関数であるか否かには論争がある。一般的には以下のような真理表で意味が表される。

A B A→B
1 1 1
1 0 0
0 1 1
0 0 1

これは¬(A∧¬B)と同値である。しかし前件のAが偽であるとき、条件法をこのように扱っていいか直観的にはなっとくできない(http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20071127/p1など参照)。
上記の条件法を実質条件文と呼び、様相論理に訴えた別の条件文も考えられている。それは、A→Bがある状況sにおいて真であるのは、Aが真であるようなsと結びついたあらゆる可能な状況において、bが真となる場合である。この条件文に訴えると、「もしイタリアがフランスの一部なら、ローマはフランスにある」が真で、「もしイタリアがフランスの一部なら、北京はフランスにある」は偽になることが理解できる(実質条件文は両者とも真になってしまう)。
この条件文においてA→B, B→C/A→CやA→C/(A∧B)→Cというような推論は妥当である。しかしながら、これと同じ形式の推論でも直観的におかしな奴がまだあるから、条件文は議論が絶えない問題である。

とりあえずまとめるのは前半だけにしておく。

*1:xCyは「xはyによって引き起こされる」というニ項関係述語。通常はCxyのように書くけど、この本は自然言語のような主語述語形式を保持する形で記号化している。だから普通の述語関数もxFのように書いている。これはちょっとこの本を読みにくくする原因の一つかもしれない。