趣味の読書?

直接研究とは関わりがない読書。
ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2
東 浩紀
4061498835

はてなでも話題だと思われるこの本。
基本的に『動物化するポストモダン』よりも非常に読みやすくなっているというか、無駄に現代思想のお話を繋げないところが前回よりも好感が持てた。ただ昨今の新書ブームに配慮してか、非常に分かりやすく丁寧に書かれる文体は、すごくよく出来た卒論のような印象を感じた。
基本的な主張である「ゲーム的リアリズム」というような物語構造が誕生して、それがどのように読者の感情移入を達成させるのか、という説明は、ひぐらしにはまった自分には非常に説得的だった。あんな絵でしかもあんな文体にも関わらず、あそこまであの物語にマジになるのは何でなのかという理由が氷解した気分だ。ただし、この本であげられているゲームやラノベを一度もしたことない人が読むと感想が違うだろう。あの荒唐無稽な物語世界に何だかわかんないけどはまっていく感覚は、確かにこれまでのフィクションが持たなかったものだと思うが、この本を読んで頭で分かったつもりになるだけでは勿体無いと思う。
しかし、それにしてもそのような「ゲーム的リアリズム」が誕生を相変わらずポストモダンとかいう時代精神において理解するってのは共感できない。文芸批評がアクチャアルであるためには、社会と関わんなきゃいけないっていう強すぎる気持ちがどうしても受け入れられない。別にいいじゃん。それよりもその誕生のためのメディアや制度的な変化にもっと気を配ったほうがいいじゃないかと。
その点で、アニメやゲームのキャラクターの特殊性の議論において、アニメの「次回予告」の重要性とかは誰も指摘してないことが不思議に思える。もしかして誰か言ってるのかもしれないけど、メタ・フィクショナルな存在としての「キャラクター」というものにとって、「次回予告」って非常に重要な気がする。普通、連載小説であっても次回予告なんてないし、ましてや物語内のキャラクターが自らの物語の次回予告をするってのはかなりおもしろい現象だと思うのですが。よくあるのは、アニメ本編のストーリーが非常にシリアスにも関わらず、次回予告ではキャラクターがふざけていたりすること。あれはまあ声優がキャラクターの声で自らのキャラクターに突っ込んでいるとでも考えられるけど、やはりアニメの物語構造にその裏側を感じさせる効果を作っているだろう。
話はそれたが、あと違和感があったのは「環境」っていう言葉の使い方だった。東は他でも盛んに「環境」っていう言葉を使っているが、それを統一的に考えているのかどうかいまいち分からん。感覚的には、いわゆる「PCの環境」とかでいう「環境」の意味を持たせてるように感じられるけど、それってうまい使い方なのかな。そしてその言葉が微妙なだけに、「環境分析的」な批評とかいうのがどんだけ新しい批評なのかは相当、疑問である。それって文芸批評とかで言う「新歴史主義批評」とかと、どう違うんですか?と聞きたい。
まあ何にしろ、昨今のラノベとかがいかに面白いかを伝えるにはいい本だとは思う。ただこれを元にして、人にラノベとか美少女ゲームとか勧めるのは嫌がられそうな気もする。