聴覚文化研究会での発表
http://d.hatena.ne.jp/taninen/20070327/p1
今年度最後の研究会で発表させてもらいました。何はともあれ、一年間これだけ熱心にみなさんで集うことができたのは本当にすごいことでしょう。このまま学会にまで成長させよう!
で私の発表はというと基本的に大学の研究室でのコロキウム発表のリライトなのですが、とりあえずレジュメの内容を乗っけときます。
聴覚文化研究会
2007/03/27
ポピュラー音楽におけるジャンルの言語的性格――音楽の記述の言語分析から0.0 はじめに
0.10 ポピュラー音楽学でのジャンル論
0.11 ジャンル概念の二面性――規範性(図1)と恣意性(図2)
0.2 本論のアプローチ
1.0 音楽の記述の言語分析
1.1 音楽の記述としてのジャンル
1.20 シブレイの美的概念論
・美的/非美的の区別
・美的質の非美的質への依存性(supervenience)
・美的概念の非条件支配性(不確定性)
1.21 美的/非美的の区別の問題点
1.22 音楽の記述の性格
・音楽の記述の役割
・音楽の記述の妥当性
・リテラルな記述に対する比喩的な記述の優位性
・シブレイのリテラルな記述の分類
①純粋に聴覚的、もしくは構造的な多くの専門用語(Cメジャー、8分の6拍子、ペンタトニック、ソナタ形式)
②専門的ではない聴覚的用語(うるさい、静かな)
③非聴覚的な現象と共有されるいくつかの用語(augmented、ゆっくりした、くり返す)
④純粋な、もしくは仮の聴覚的用語(ring, gallop, murmur)〔専門的な記述においては〕
1.23 美的概念と比喩
・美的/非美的と比喩的/リテラルの区別の関連性
・比喩的記述の重要性と再生産的模倣行為
1.3 美的/非美的の再定義
・言語的記述の特権化の問題
・専門的記述の多様性
・物理的還元性と比喩的可能性
1.4 音楽の記述の分類
①純粋に暗喩的な記述(暖かい、冷たい、楽しい、優美な)
②ポピュラー音楽的記述(ノリがいい、グルーヴ感、ジャンル名、パワーコード)
③西洋音楽学的記述(音程が高い、アレグロ、フーガ、カンタービレ)
④楽器、人物に言及した記述(ヴァイオリン、女性の声、ジミヘンのギター)
⑤音に関わる一般的記述(うるさい、はげしい、しずかな)
⑥音響学的記述(デシベル、音響インピーダンス、アタックタイム、ピンクノイズ)
2.0 ポピュラー音楽の記述の言語分析
2.1 ポピュラー音楽的素養
2.2 音楽ジャンルの言語的性格
・ジャンルの比喩可能性と恣意性
・ジャンルの還元不可能な実在性と規範性
3.0 おわりに参考文献
Frank Sibley:
‘Aesthetic Concepts’, Philosophical Review, 68 (1959), 421-50 (revised version in Joseph argolis, ed., Philosophy Looks at the Arts (Philadelphia: Temple University Press, 1978), 64-87).‘Particularity, Art and Evaluation’, Proceedings of the Aristotelian Society, Supplementary Volume, 48 (1974), 1-21
‘Making Music Our Own’, in Michael Krausz, ed., The Interpretation of Music: Philosophical Essays (Oxford: Clarendon Press, 1995).
以上はApproach to Aesthetics: Collected Papers on Philosophical Aesthetics, eds., John Benson, Betty Redfern and Jeremy Roxbee Cox (Oxford: Oxford University Press, 2001)にからの引用であり、それぞれAC、PAE、MMOOと略記した。
Emily Brady ‘Introduction; Sibley’s Vision’ in Emily Brady, Jerrold Levinson ed., Aesthetic Concepts: Essays After Sibley, (Oxford: Clarendon Press, 2001).
Jerrold Levinson ‘Aesthetic Properties, Evaluative Force, and Differences of Sensibility’ in Emily Brady, Jerrold Levinson ed., Aesthetic Concepts: Essays after Sibley, (Oxford: Clarendon Press, 2001).
Joseph Margolis The Language of Art and Art Criticism, (Detroit: the University of Cincinnati, 1965)
Peter Kivy ‘Sibley’s Last Paper’ in Emily Brady, Jerrold Levinson ed., Aesthetic Concepts: Essays After Sibley, (Oxford: Clarendon Press, 2001).
増田聡『聴衆を作る――音楽批評の解体文法』、東京:青土社(2006)
ジェイソン・トインビー(Jason Toynbee)『ポピュラー音楽をつくる――ミュージシャン・創造性・制度』、安田昌弘訳、東京:みすず書房(2004)
みなさん普段馴染みのないゴチゴチの言語哲学的なお話に耳を傾け、興味を持ってくださって本当にありがとうございます。いろいろ有益な助言なども頂けて非常に助かりました。やはり学問するものは聞いてくれる人は大変に重要であることを再確認しました。
えー自分なり反省というか感想ですが、
- 前半の1の部分だけで修論は書けそう。
これは皆さんから指摘されましたが、確かにそうであります。ただ自分が分析美学だけをやりたいのではなく、ポピュラー音楽というアクチュアルな対象に向かっていきたいということだけは忘れないようにします。その意識さえあれば前半の部分をガチとすればいいかなというのは確かにそうだと。そうするとタイトルというか主題もまた変わってくることになり「音楽の記述の言語分析」とかになるけど、こんなにデカイ問題扱っていいんけ?ってちょっと思いますが、まあその辺を見越した研究をすべきかと。
- ポピュラー音楽の非言語的な特質
これは書いていて自分でも気付いてきたのですが、結局のところポピュラー音楽においてそれを記述する行為ってのは非常に稀なんですよね。だからやっぱりその非言語的なところや身体的なところを無視したらあらぬ方向に議論が行くので、論文ではうまく問題設定を限定する必要があると。まあ逆に言うとそのような美的経験における非言語的な性格に議論を持っていくためにポピュラー音楽の様々な現象は非常に有益なデータだともいえるわけです。カルスタなんかで言われる、ダンスミュージックの主体性のような議論を、非言語的美的判断論として分析美学の方面からもアプローチができるんじゃないかと今考えているところです。そのために「一般的判断論」というものと「非言語的美的判断論」ってのを試論の段階で構想中であります。できればブログなどで発表していきたいと思ってます。
- 形而上的な問題への足の踏み入れ方
これは結構悩むところです。個人的には実在論/非実在論の議論なんかは非常に刺激的なんですが、ちょっとレベル高すぎるし、具体的な音楽という現象を考察するには高踏すぎるというか空中戦というか。にしても「判断とは何か」というレベルで問題設定するならば、そのような問題(とくに判断の問題は自由意志の問題につながりハードプロブレムに成らざるを得ない)ぶち当たる。だから自分としては、問題設定に具体的なモデルを立てることでそのような形而上的な問い回避したいと。今のとこ考えているモデルはやっぱし、他人と好きな音楽の話をしているときに、それを如何に伝えようとするかという意味での「音楽の記述」ってことになるかなー。批評という実践を考えるにしてもそれが一番本質ではないかと思っている。
とりあえず分析哲学、言語哲学関係で音楽の記述といった問題に関する論文はまだまだあるんでそこを掘り下げると共に、ポピュラー音楽学で培われたジャンル論や批評に関する議論をすりあわせていくしかないな。
以上のお話興味ある方いればメールで発表原稿など送るので良かったらよろしくおねがいします。まだまだ未完成なところを見せるのは恥ずかしいですが、興味を持っていただけるだけでも研究のやりがいになりますので。