連載マンガのインプロヴィゼーション性@ゾンビ屋れい子

マンガのことは普段書かないけど、これは書こう。なんたってこのマンガを買わない俺が文庫で全巻揃えたのだから。まあ自分がマンガを買わないのはマンガ贔屓の良き友人を持ってるからなのだが。
ゾンビ屋れい子 10巻セット 【Amazonオリジナル特典・カンバッジ付き】
三家本 礼
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アマゾンでこんなのあったり文庫化されるってのはやはり人気があるのかな。
このマンガ簡単に説明すると、ゾンビ屋家業(殺された人を生き返らしたりして、真犯人を聞いたりする)する女子高生れい子の奇妙な冒険(笑)とでも言えばいいでしょうか。最初の頃はホラー&ミステリー系の一話完結のグロい恐怖マンガであったのですが、徐々に(まさにジョジョにw)ヒートアップしまして、死人をゾンビにするれい子だけじゃなくてゾンビを召還して戦わせる様々なゾンビ召還者たちと戦うというジャンプ的少年漫画転回にホラー&グロ(何せ主要キャラと思われたやつらがドンドン死ぬ)、さらにはれい子他のキャラが何故かバストアップ(笑)していきまして巨乳というファクターが合わさるマンガであります。
ようは当初の予定や作品全体のまとまりなどよりも、作者の連載しているときのテンションが常に跳ね上がりつつ作品の一貫性を破綻しそうなギリギリで転回されるグルーヴ感、そういうものがヒシヒシと伝わるマンガなのであります。
思うに連載というシステムを持つマンガにとって重要なのは、他のメディアの作品に求められる統一した一貫性といったものより、このような半インプロ的ないわゆるグルーヴのようなもんじゃないかと、このマンガの魅力を分析する際に思いついたのであります。
だから最初の頃のころと最新刊のキャラ絵のあまりの落差ゆえにそのマンガを批判するのはやはり野暮なことなんでしょう。登場時のれい子の胸がペチャパイがどんどん大きくなっていくのを作品の一貫性の無さとして否定するのがアホなのといっしょで(笑)
なんにしろこのマンガは作者の表現したいもの表現しなきゃいけないものをどっかで越えていくカンジがなんとも気持ちいいのでありました。