曖昧に生かせて

どうにも困ったもんだってのがアレである。
最近流行りの白いアレである。
なんか今度はそれを赤く塗りつぶしたり、募金じゃねえからやらないとか、そもそも世界のまずしさなんかほっときたいとか言ったりしてるじゃねえか。
俺としてはチャーリー兄さん(そう呼ばしてくれ)の言ってることが一番共感する。

さておき俺が毎朝通勤するところではビッグイシューを売ってるおっさんがいる。通勤する人が多いので、ほかにもホットペッパーなんかのフリーペーパーを配る輩が多くてうざいのだが、そのビッグイシューはほとんど売れていない。俺は一度だけ買った。

四角い箱やなんかに金を落とすことは人はたやすくできるが、なかなか困ってる人に直接現金を渡すのは難しい。ビッグイシューにしても、それは商品との交換という通常の商行為を代用する形での喜捨である。俺もさすがに行き倒れのような人にお金を直接渡す勇気はない(一度だけコーヒー代という名目で上野のホームレスのおじさんに200円ばかりあげたことはある。)。
でも事実として東京に暮らしていれば、いろいろな境遇の人と遭遇する。雨のなかで寝てる行き倒れや、駅の構内で異臭を放つ浮浪者。俺はいつも見て見ぬふりして通り過ぎる。もちろん幾許かの葛藤をもって。
東南アジアなどに旅行した人ならわかると思うが、良く旅行者に金をたかる現地の人々がいる。そのような人に迫られると自分の日本人としての立場と発展途上国の人の立場の差を否応無しに突きつけられる。果たした気前良くお金を渡していいものだろうか?そもそもここでお金を渡せるとい現状が彼らと私の圧倒的な差なのではないか?といった具合に。

一筋縄にいかない。俺は困ってる人を目の前にしてどうすればいいのか分からない。

おそらくあのキャンペーンはネットというメディアを使った広報的な戦略なんだと思う。いままでのチャリティー運動が広告的な手法によって現実の金を動かそうとしていたならば、今行われているこの運動は金ではなく、チャリティーというものの信頼性を動かそうとしているのではないかと、さも業界に詳しい風を装って思ったりする。

実際には思想信条が違う人々に向けて、「お前はチャリティーを良いことだと思うのか?」とネット独特の威圧感をもって迫るわけである。

それに対し、俺はわかんないとしかいえない。多分、たまに募金したりはする。

まあそれよか人に金を借りるほうがよっぽど多いんだけど。