音楽の未来へ

生協で見つからなかったので三省堂まで行って買いました。

音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ

音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ

非常に平易な言葉で書かれており、現在の音楽文化とそのテクノロジーを考えるための基本の一冊といっていい本でしょう。まさに教科書として使われるに相応しく、そして音楽学のアクチュアリティを訴えるにも貢献したと。(と偉そうに言ってみる)
しばしば、音楽の著作権などを巡るごちゃごちゃとしたネットの議論に辟易してた人はとりあえずコレ読んで頭をクリーン・アップしてみるといいです。
といった感じで、内容についてはこれまで増田、谷口両氏の文章を読んでいたのですんなりと入ってきたし、いつもはもっと美学っぽく文章が固くなったりしてる気がする増田さんがこんなに易しく読める本を書いたのはちょっぴし意外な気がした。もう一冊の著作の方はもうちょっと難しいのでしょうか?
ポピュラー音楽学会の例会時に言ってた最後の章のジャック・アタリの話とこは、あの時聞いてるだけではかなり胡散臭く聞こえたけど、活字の魔力は恐ろしいもので(笑)こうして読んでみると非常に納得のいく話であった。ただ「反復のレゾー」から「作曲のレゾー」へと至る過程で、音楽の享受者はかなりの振り分けが行われるんじゃないかというのが自分なりの推測。つまり実際に音楽が好きで自分で自分の好みに合わせて「楽器」を用いて音楽を享受するというスタイルを求める人ってのはかなり少数であって、依然として「反復」される音楽を受動的に消費する人たちが大多数であることには変わりがないのではないだろうか。確かにiPodを用い自らの嗜好に合わせて音楽をチョイスして聴くのも広義での「作曲のレゾー」なんだとは思うけど、ブライアン・イノーとかが主張してたりする音楽の享受とか、ガレージバンドを使って音楽を楽しむ人とかってのはやっぱそれとはちょっと違う音楽の享受の仕方であり、かつ少数派なんじゃないかと思う。
輸入権CCCD問題での議論を脇から見てると、「作者」のアウラってのがそう簡単に消えないってことを凄く強く感じたオレにとって、やっぱもとから存在する音楽よりも自ら作ったり、友人が作ったりするようなミクロな圏域の音楽を愛するのは少数派だと思う。そんなミクロな圏域でやってる我々にしても、音楽の志向の参照体系はやっぱマクロなもんだったりするしねー。