渋谷陽一の批評、思想の特徴

昨日から渋谷陽一

  • 『メディアとしてのロックン・ロール』1979
  • 『ロックはどうして時代から逃れられないか』1996

を読む。ある意味わかりやすい中村とうようの思想性と違って、渋谷の考えというのは意外につかみづらく、一般的な(というかオレがもってた)ロッキング・オン渋谷陽一のイメージとはだいぶズレがあるのを感じた。ちょうど自分が十代のころROに感じてたあの気持ち悪い誇大妄想的部分の源は渋谷にあるというよりも、岩谷宏にあるのではと考えつつある。実際の渋谷の昔の文章は、確かにジャーナリズム的な情報はほとんどないのだが、極私的な語りというものより、良く言えば思索的な文章で悪く言えば断定的な文章である。むしろ渋谷は、岩谷のスタイルを真似た読者からの投稿記事に対しては、甘ったれたこと言うなという感じで批判している。
それでも、MMに対してはその客観的批評態度を批判し、自分の生の違和感に忠実であるという主観主義を標榜しており、その立場はわかりづらい。
唯一、初めから変わらず明らかな立場というのは、その経営者的立場であろうか。つまり、ロックも雑誌もメディアであるという以上は、多くの人とコミュニケーション可能なことがその必要条件であり、音楽、雑誌が売れないからといって「大衆がバカである。」と考えることや、売れるために大衆に媚を売り「どうせやつらはバカなんだから」と考えることを否定する。簡単に言うと消費者との間に理想的関係を結ぼうとする経営者的スタンスのようである。
その態度が渋谷のもう一つの特徴となっているアンチ・エリート主義とつながるのだが、RO創刊当初はMMに対する反感はあるもの、明確な形でアンチ・エリート主義を物語る文章は少ない。むしろ、「今のロックはインテリによって行われてる」ということを語り、自分としてはその知的なものになってきたロックをいかに知的に語るかを目標にしているようにも思われる。
多用されるメディアという言葉は当時の思想的流行と関係するのかもしれないが、RO創刊時はこの雑誌はインテリ的な佇まいを持っていたことは確かであろう。
まだ良くわからんことがいろいろだが、今後創刊当初の渋谷以外の文章、特に岩谷、を調べるなどして、90年代の増井編集長時代までの大まかな流れを読み取りたい。そして、後に「妄想的」と表されることになる90年代のRO的批評が、どのような前提によって生まれたかを見ていきたい。

てか岩谷の文章探すのは不可能に近いなー、ついにRO編集局まで乗り込むときがきたのか?だれかもってないかなー70年代のRO