図書館借り物

テクノ/トランスよりになる以前のボアダムス。正直こっちの方が好きである。我々ノーザンショックが初期ボアダムスに似てるという大賛辞の意味が少しだけわかった。そこはかとなく和風な旋律と無闇矢鱈なボーカルがかもし出すカオス感と頭悪ソーって感じだそれは!
ただノーザンには歌詞という部分が大きいのだが、ライブで始めて聴いたひとにはこんな感じのオノマトペにしか聴こえないわけねー。まあそれはそれでよい。

  • 思い出波止場『大音楽』

これもボア関係であるが、内容はさほど変わらないが、そこはかとなくインテリ感が漂うのは山本精一のせいでEYEがおらんからか?名前をいくらサン・ラー的な天然なノリにしてみてもどこかしら漂う確信犯的匂い。この方向を過度にしたなのがDCPRGであって、我々ノーザンというかオレにとっては最大限に忌むべきものである。

  • JIM O'ROUKE『insignificance』

ひさしぶり聴いたシカゴ周辺な音。といっても佐々木敦が言うとおり、既にジム・オルークはシカゴ文脈で語れなくなっているのは確か。ソニック・ユースへのほぼ加入によって、ロックの楽しさに気付いたというか、じゃあ今まで何してたよって感じは多々ある。しかし、このアルバムよりか同時期にメゴから出たほうが圧倒的にいいと思うのだが。
しかし、音響系というのは一時期はまったが(といっても買ってたのはほとんどレッド・クレイオラなんだが)もうほとんど興味がないなー。その音はまあいいんだけどスタンス的には、我々ノーザンというかオレにとってはやはり忌むべきもの。

結論としては我々ノーザンが初期ボアダムスに似てるというのはヒジョーにうれしいということです。