ポピュラー音楽における卓越化闘争の拡大

話題になってるこの記事
ここ数日サイモン・フリスの『Performing Rites』の1章を読んでいたのですが、この本でまずフリスが言ってることは、ブルデューが高級芸術の自律性という幻想を暴き、その機能性を明らかにしたことはポピュラー文化においても同様ということであるのですが、iTUNEによりこのことがより鮮明に浮かび上がってくるという現象がこれってわけね。
音楽好きなやつらは昔から音楽によって他人の音楽の趣味をバカにしたり卓越化してきたのだが、iTUNEのためにそのような卓越化が広範囲に広がった様子。つまり、iTUMEのユーザーは己の音楽の趣味はより他者との関係によって構築しなきゃいけなくなるのだが、これが音楽文化全体に及ぼす影響ってかなり注目に値する。
でもわざわざダサいからってプレイリストから削ったり、オシャレに思われたいとおもって聴きもしない(やっぱそれがきっかけで聴き出すとは思うのだが)音楽をいれたりするやつは、そんなに増えないとも思われる。なぜなら、そのような音楽を通しての卓越化行動を認識できるのは、それなりに共有された知識が必要だし、ダサいって言われても本人にわからない可能性もあるだろうし。
ダサいって言われて自分でダサいと認識できる奴は多分、ダサいっていった奴の音楽の趣味に近づこうとするし、逆に近づかれた方はどんどん先に進もうとするだろう。結果、流行の速度が格段にはやまるってそれについてく奴も淘汰され、結局今と一緒に落着く気もする。
それとも、みんなほんとにスタジオヴォイスの特集に出てくる音楽とかききだすのかな?でみんな佐々木敦化するのだが、そこまでいったら結局「ハルカリ最高ーー!」とかいいだすのだから、やっぱどこかで落着くとは思うんだが…
小泉恭子さんの研究であった「ジェンダーによってパーソナル・ミュージックを明らかにする度合が違う」とかもここら辺でどう関ってくるんだろうか?
なんにせよかなり興味深い現象で、マスダさんやクリハラさんあたりにご意見頂戴したいところではアリマス。