ひるにNW氏にローゼス本とマニックスCDを借りる。このような友達が近くに引っ越してきたことは、私の研究に大変有意義。
しかし、ローゼス本なんてあることに気付くのが遅すぎた。俺が集めたロキノンのローゼス記事はなんだったんだー。
でも記事全部載ってるとはい言っても、記事と号の関係がわかりづらいのでやはりこれだけでは駄目かと思いました。だいたい写真多くて高いし、買うのはちょっと気が引ける。しかし、記事が一冊にまとまってると楽だなー。マニックスのもつくれよ!岩見がいない今は無理か…

それからなんとか中間発表のための文章を書くが、まとまらず悶々とする。
でいい加減なKJ法を試してみると見る見る勇気が沸いてきた!
川喜多次郎さんありがとー。混沌をして語らしめた気がした。

で内容はほとんどローゼスだけで終わりそう。
ローゼスに対する評価において、MMがロック以外のジャンルを援用しつつ、ロック的には評価できなかったのに対し、ROはロック内部の価値基準によってロックとして評価できたのを両誌の分析を述べる。やはり南田さんの本は使えるから、明日生協で買おう。読んだけど持ってないだよな。
しかし、なんか結論が普通な感じになってしまった気がする。つまり、ROはなんでもロックにしてしまう。でも、そのロックにしてしまうのが、ある種戦略的本質主義みたいというところが、せめてもの救いか?といってもある音楽がロックであるということに、我々がディアスポラである黒人であるというくらい、実存をかけてる奴がそんなにいるとは思えんので、そんな戦略的本質主義もかなり空虚なもので無責任かもしれん。でも、日ごろ散々悪口言われるロキノンを、学問的に批判しても全然面白くないから、なんとか少しでも救ってみたいと思うのがこの研究を支える同期であったりする。もともとロキノンには何も思い入れはなくバウンス少年であったのだが。