フジロックの行く末を案じる

果してこれで一般大衆は納得するのか。チケットが買えなくて困っている人は100人や200人ではきかないだろう。HPで「ご来場はお断り致します」なんて書いたって来る奴は来るだろうし、もしかすると当日まで会場でチケットが買えるもんだと思って知らずに来る奴だっているに違いない。特に26日の入口ゲート付近では一悶着起きても不思議ではないなあ。何とか対応策を考えておかないとスマッシュはまた痛い目に遭うのではと不安で一杯だ。信用を築くのは難しいけど、失うのはたやすいからね。

id:k_turnerさんの日記、先日トラックバックをいただいたid:ulalakaさんより
いやあほんと同感だと思います。絶対に騒ぎは起こるし、これで何の批判も無く、「チケットないから仕方ねーな」てのもかなしい気がします。以前の日記で紹介した『ポピュラー音楽へのまなざし』のなかでの岡田さんのフジロックに関する論文では、フジロックが「夏の風物詩」化したことを、ロックというサブカルチャーがメジャーな文化として、その正当性が認められたってことになってるけど、ここまでメジャーになるとさすがにコアな音楽ファン層からは文句がでてくるだろう。なんでもそうだと思うが、対抗文化的起源をもつ文化ってのは、ある瞬間、正当なメジャーな文化になったとしても、その次の瞬間からすぐに、「いや、やっぱ違うだろ」ってマイナーな方向への卓越化が始まる。*1フジロックがメインな文化として、コアな音楽ファンを取り込んできた蜜月もこの2、3年のことだったんだなー。来年からはあまりにメジャーなアーティストを呼ぶな、っていう意見がでてもおかしくなさそう。
さて、スマッシュは今後フジロックを、プラチナ・チケット的なものにしていくか、再びマイナー文化に戻るのか?そして、どちらがより「ロックであるか?」ってことが、ロックファンのなかで議論されていくんだろうな。
私的には、フジロックが、唯一度の真夏の世の夢として消えたウッドストックと違い、自由な雰囲気のなかでも一定のコントロールを施し、毎年続けて来れたことは評価するが、プラチナ・チケット化するのはいたたまれないな。やっぱ、ビョ―クと山崎まさよしとサン・ラ・アーケストラを同じ会場でやるのは無理があるのだろうか?すみわけは必要なのか?皆さんはどう考える?

*1:そういやこのマイナー方向への卓越化は我々の仲間内でマイナーパワーって呼んだものでした