ナード・サマー・オブ・ラブとしてのシュタインズゲート

このカテゴリでエントリを書くのは久しぶりだが、そもそもこの日記自体も久しぶり(最近はこっちで書いているhttp://shinimai.hatenablog.com/)。というかこのカテゴリを俺の妄想でしかないので間にウケないように。

「ナード・サマー・オブ・ラブ」とは俺がことあることに提唱してきたタームであるが、本当のところいわゆる「特に意味はない」わけであるが、ゼロ年代の日本のユースカルチャーがドメスティックになっていた現状をそれなりに照らしているといえば聞こえがいいか。まあ個人的にこの文化のドメスティック・ターン自体には複雑な感想を抱いている私であるが、そしてそもそもお前が「ナード」とか言うなとかニワカCINEとか言われても仕方ない立場だが、ゼロ年代末のいろいろな日本のユースカルチャーをそう呼ぼうがいいだろうと思う。

秋葉原という土地が良い意味でも悪い意味でも象徴になったのは間違いなく、ネット発のレーベルが出て、秋葉原のクラブでアニソンで踊る人間が増え、ミクが海外でも天使だとか言われたとか、そんなの全部ウソくさくも思えるけど、末代の若者には「いやゼロ年代末はたしかにナード・サマー・オブ・ラブだったんだよ」とか平気で嘘を言ってみたいのである*1。そしてその象徴の1つとして、09年リリースで10年が舞台のシュタインズゲートがあり、厨二病がヒーローとして輝く瞬間があり、現実にラジ館に人工衛星は表れたんだよと、ホラを吹きたいのだよ。そもそもアニメさえリアルタイムで見ていない自分がさも世紀の瞬間を目の当たりにしたかのように、「ああたしかにナード・サマー・オブ・ラブはあった」とつぶやき、その頃には白衣がお洒落で語尾には必ず訳のわからない合言葉を話していたとか(さすがにそれはねーえよ)。

まあ本家のサマー・オブ・ラブとかも実際のところ、後からの伝説化があってこそなんだろうから、こういう妄想ってそれなりに素敵なもんじゃないのかな。

*1:もちろんその文化を支えた多くの人が地方在住者であることを忘れてはいけない。ただそれはウッドストックにはロック世代の極僅かしか参加できなかっただけなのかもしれない。