話題の本

これ読んだ。買った本は返済期限とか考えないので、読んでから少したってブログにかけるからいいね。
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
マイケル・サンデル Michael J. Sandel 鬼澤 忍
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話題の本なのでいろんな紹介されているだろうし、オレが何事か付け加えることなどないように思えるので、単なる感想。全体的にはさすがにベストセラーだけあって良書である。倫理学と政治哲学の良き入門書であるのは間違いない。特に倫理的なジレンマの具体的な事例が多く挙げられているあたり、初心者には読みやすいのでは。だってトローリー問題とかいきなりいっても、多くの人はそのような事件に立ち会わないと主張して思考をやめるだろうから。それに比べて、マーカス・ラトレル軍曹が出会った困難などは現実のものとして我々に熟考を要求するだろう。欧米の一般向けの学問の本はこういう具体的事例を頭に持ってきて議論を始めるのがとてもうまい。日本の学者も見習うべきでだろう。
さて具体的な内容であるが、サンデルは正義に関する理論を幸福、自由、美徳の観点で概説する。それぞれ功利主義リバタリアン(もしくはリベラリスト)、コミュニタリアンに相当する。そして前者から後者に話をすすめることで、自らのコミュニタリアンとしての主張をするのだ。この点でいえば、この本はぜんぜん中立的な入門書ではない。かなりの部分、サンデル自身の哲学が染み込んでいると考えて読むほうが良いだろう。
さて、先程の正義に関する大まかに分けて三つの理論は、実際のところそれほど綺麗にわかれてないと思う。私はどちらかといえば倫理学はちょっとはかじったことがあったのである。だが、政治哲学に関しては完全な門外漢なので分からない。それでも考えるのだが、正義に関する倫理学の説と政治思想の立場はそれぞれ一対一対応していないように思われる。私が知る限り、現代の(規範)倫理学の主要な三つの分類は、帰結主義功利主義)、義務論、徳理論であろう。これらはサンデルの言う幸福、自由、美徳に当てはまるようにも思われるが、それぞれの倫理的な立場から出てくる政治主張はかならずしもサンデルの言っているものに当てはまらないように思われる。
義務論の代表格がカントであり、その政治哲学的な応用がロールズと考えれば義務論=リベラリズムというのは当てはまりそう、またアリストテレス由来の徳理論がコミュニタリアンのバックボーンとしてもあるのはわかる。だが帰結主義功利主義)からの政治哲学の立場は、その功利の計算の仕方や、功利として扱うべき実体によって様々なものになりうるだろう。サンデルの本では功利主義的立場を市場原理主義の立場と並列するように書かれている箇所が目立つのだが、功利主義市場原理主義という考えは完全に誤ったものであるし、このような誤解を招く書き方は明らかに功利主義に失礼である。
また最後の方でのコミュニタリアンでの議論が徳理論、徳倫理に基づくことはあまりはっきり示されていなかった。これはあえてなのか、そもそもコミュニタリアンというオプションは倫理的な学説に由来しないのか、ちょっとわからなかった。なんにしろ最後の方は議論が足早であった印象は否めない。
あとこれはオレの単なる疑問なんだけど、リバタリアンって倫理学的な基礎としてはどういう説を持っているのかわからない。もちろんロックの所有権に関する議論に由来することはわかるけど、それは倫理的な学説というよりも形而上学的な問題だからな。ロック的な所有権を認めたとしても、なんでその所有権を前提とした政治思想が良いのか、ってことは疑問を挟む余地があるからだ。
最後に私の政治哲学的立場はなんだろうと自問自答してみる。倫理学的な基礎付けとしては、私は大いに徳倫理に魅力を感じるものの、政治思想や現状としてのコミュニタリアリズムには安直に賛同しかねる。というのはコミュニタリアン+文化相対主義というオプションに、私はとても否定的であるからだ。もちろんコミュニタリアンにもいろいろあるだろうから一概に言えないけど、美徳は大切といいながらそれが相対的であることをたやすく認めるのは受け入れがたい。美徳であるなら、それは文化相対的ではなく、我々の人間の本性に普遍的であるべきだと思っているのだ。
本当に最後に重箱の隅をつつくと、37pのマーカス・ラトレルの話の場所に重大な誤植がある。AK48などという自動小銃は存在しない!どう考えてもAK47だろ(もしくはそのバリエーションか劣化コピーか)!もしかしてAK48というオレの見知らぬアサルトライフルでもあるのだろうと、ググってみたらAKB48しかヒットしなかったぞ!