日本とラップ

例によって趣味と研究をかねた読書。
グローバリゼーションと音楽文化―日本のラップ・ミュージック (双書 音楽文化の現在)
4326698624

日本の若手のラップ研究の第一人者、木本玲一による著作。勁草書房のポピュラー音楽研究の双書の二番目。私は木本氏の論文などすでに読んでいるものがあったので、特別に新たな見地が得られたわけではないけどこういう本が出版させれることは喜ばしい限り。以下、内容についての若干のコメント。
グローバリゼーションってのは昨今の文化研究ではかなりメジャーなイシューなわけだが、その辺の事情に詳しくないと、なんでグローバリゼーションってのが問題になるのかいまいちわかりにくい。本書では、ある特定のネーションと関連があった文化が別の地理領域で需要されることをグローバル化として呼んでいる。それに対比してグローバルした文化がある地理領域に根付くことをローカル化と呼んでいる。後者はドメスティケーションとかほかに呼ばれる言葉があるが、この本ではローカル化という言葉を多用しているけど、一部、その言葉の使い方がややこしくてわかりにくところもあった。
さらにこの本ではポピュラー音楽研究ではおなじみのサラ・コーエンのシーン概念やキース・ニーガスの議論を踏まえ、ローカル化を実体論的/認識論的という二つの層、両面から捉える。実体論的ローカル化とは要するに物理空間上で営われる人とモノ、情報の交流におけるローカル化であり、具体的にはラップ・ミュージックを受容して日本に根付かせるためのアーティスト、レコード産業、クラブといった実際の働きを指している。それに対して、認識論的ローカル化とはラップを日本に根付かせるための表象空間におけるイデオロギー的闘争のようなものを意味する。
この辺の術後の使い方は哲学的な頭からは非常に違和感があって、認識論/実体論という言い方はあまり適切ではないように思えた。むしろニーガスが提案している「地理的な場所(place)」と「空間感覚」(sense of space)という言葉の分け方のほうが直感的にも理解しやすいように感じる。
ともあれ、本書はその認識論敵/実体論的ローカル化という現象をアーティスト、クラブ、レコード産業、スポンサー企業といった様々な場所における取り組みとして多面的に描き、日本におけるラップ・ミュージックの根付く過程を丁寧に、そして中立的に描いている。(これはほぼ同時期に刊行されたイアン・コンドリーの著作と比較してみると良いかもしれない。)
ただ残念なことは、木本氏は本書に書くにあたってフィールドにおける参与観察に基づく調査を行っているのだが、その調査で得られたデータの記述をもっと読みたいと思った。エスノグラフィーという方法論の妥当性や問題点、書籍化するにあたっての制限などいろいろと考慮の上での本書なんであろうが、客観性を重視しすぎるため読み物としての魅力を犠牲にしている感が若干ある。これはある意味、日本でポピュラー音楽研究をやることにつきまとう問題であって、私も他人ごとではないのだが、コンドリー氏の著作を読むと日本のラップ・シーンの自由な記述に羨望を感じざるをえない。もちろん、これはコンドリー氏が日本において「ガイジン」であるからできることのように思え、文化研究の政治的な複雑さを感慨深く思った。コンドリーの著作についてはいずれエントリーでコメントします。
日本のヒップホップ―文化グローバリゼーションの〈現場〉
上野 俊哉
4757141718

これイアン・コンドリーの著作だけどなぜか訳者の上野氏の名前になってる。アマゾンに飛ぶとちゃんとわかるが。