『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序 EVANGELION:1.0 YOU ARE (NOT) ALONE』:感想と若干の考察

新宿のミラノ座で見てきた。満員だったよ!
で、感想の方ですが、基本的に評判通り楽しめるものであった。特にエヴァ使徒の格闘とか、第3新東京市のメカニックな部分とか、ラミエル幾何学的な動きはすごくかっこよかった。それに比べて、後で詳述するけどエヴァ独特のジメジメしたところと、学校の同級生との交流の側面は大幅にカットされていて、それはそれで残念だった。あと物語の複線としてテレビ版とは違う要素が数点あったので、はげしく続編が気になる。
以下、演出と物語の行方について若干考えてみたことを書くけど、ネタバレ(まあそんなにバレような要素はないけど)なので。アニメはあまり詳しくないから、基本的に人物描写と物語構造についてだけです。

演出面

  • ジメジメしたシンジの性格がドライなものに変わった!

まあこれは3、4話のエピソードが大幅にカットされた影響だと思われるけど、細かいところでもシンジはテレビ版よりも男らしくなったというか、決断主義(?)的になった。具体的には最初にエヴァに乗るシーンでは、レイが変わりに初号機に乗せられるようとすると、すぐに自分が乗ると言い出す。確か、テレビ版では使徒の攻撃で揺れたネルフ本部の落下物からシンジの体を守るためにエヴァが勝手に動くという演出があったはず。そのせいで、「コイツ、緊急時にウジウジしやがって!」という気持ちが今回は軽減されていると思われる。他にもミサトさんエヴァに乗るか否か詰問された後、すぐに自分から乗ることを決断している。なんつーか、今回のシンジは男らしい、というか一度軍隊で鍛えられてきた後のような性格に少し変わってるような気がする(笑)。その反面、ミサトさんのやさしさが減って、よりS的な性格に見える(笑)。

  • 学校の友人の影が薄い!

特に委員長。ポスターにデカデカと書かれているわりに、ほぼ空気。トウジとケンスケもテレビ版に比べたら、大幅に存在感がない。というか3話から4話で描かれた、シンジにたいするトウジの誤解とその解消がひどくあっさりと描かれている。端的に言うと、トウジがシンジを殴る、トウジとケンスケが使徒と戦っているシンジを目の当たりにする、トウジはシンジに謝り、自分を殴らせる、以上という経緯で終わりだ。これはテレビ版の三人の友情を描いた雰囲気を大きく損なっているんで、後々トウジがエヴァに乗るときのエピソードをどのように落とすかが問題となるんじゃないかと思う。まあ次回作あたりで彼らの友情は何らかの形で描かれるかもしれないが。
ちなみにテレビ版「第四話 雨、逃げ出した後」は「庵野監督が脚本の役職でクレジットされていないエピソード」で途中に付け加えられたものらしい(http://www.style.fm/as/05_column/animesama37.shtmlを参照)。ということは、今回の方が庵野監督が構想した原案に近いものになっていると考えることができる。事実、「元々第参話は、シリーズ構成では「初めての、TEL」というタイトルで、戦いの後でトウジとケンスケから電話がかかってくる話だった」とあるように、今回の新劇場版ではトウジとケンスケがシンジに電話でメッセージを伝える場面が出てきている。
個人的には第4話のウジウジしたシンジとなかなか謝れないトウジ、妙に包容力があるケンスケなどの人物描写と、ラストのミサトとシンジの沈黙の50秒などの演出は好きだったので少し残念である。それに比べ、なんつーか、新劇場版の人物は素直に人間関係を築けるように成長したようだ(笑)。ヤマアラシのジレンマのリアリティがあんまない。

物語

  • ミサトのネルフに関する情報が増えている。

これはかなり大幅な変更だと思う。テレビ版ではミサトは加持との関係が再開した後に、いろいろネルフの裏について知りはじめる。ミサトの物語の末期はネルフに対する疑いと、視聴者のエヴァの物語に関する疑問が重なる形で進行するが、今回はあらかじめ大まかなシナリオを知っている観客と合わせる形で、ミサトの知っている情報も増えているようだ。ただ、これがどこまでかなのはよく分からないが、すくなくともネルフの地下の巨人がリリスであって、それを使徒から守るのがネルフの仕事だということと、リリスが人類の祖先であるようなことは、ネルフに関わる人々には共有されているようだ。そうすると、後半の加持の諜報活動がどういう内容になるのかが疑問である。もしかして前回のように殺されることはないのかもしれない。

  • カヲルの登場が早い。

これは公開されて真っ先に言われたことなので指摘するまでもないけど。まあこれも観客があらかじめ知っている情報は映像で描写されるという原則にそっているように思われる。

以上、演出と物語の構造についてまとめると

なんというか、これは完全に東浩紀が言うところの「ゲーム的リアリズム」ではないのだろうか。要するに、それぞれのキャラクターがテレビ版の物語内で得た知識や成長を、新劇場版での物語においても保持し続けているように見える。シンジの性格はより決断的になり、友人たちとの関係も良くなっている(なにせ「鳴らない、電話」が鳴ったし!)。さらにミサトは以前よりもネルフの実体を把握している。今後の展開は分からないけど、それぞれのキャラクターに何らかの形の成長が感じられる。下手すれば、トウジ*1や加持さえ死ぬことなく、ハッピーエンドに収束していくのでは、とまで思える(まさに「ひぐらしのなく頃に」のようだ)。まあ後3回あるんで分からんけど、少なくともテレビ版、劇場版でのエンディングの救われなさは解消されるような気がしてならない。

  • あとオマケ

たけくま氏が指摘しているシンジが「25曲目と26曲目を何回もリピートしている」描写について。あの描写がテレビ版に比べて新劇場版で増えているかどうかはちょっと分からないんだけど(気になるから確認したいんだが)、全体の尺を切ったのにも関わらず、これらのシーンだけは確実に残しているのは意図的なように思われる。以前からいったいシンジくんはS−DATで何を聞いているのかは気になっていたけど、これは演出的にはシンジの内向性を印象付けているだけとも思われる。でも変に深読みしようと思ったら25、26ってのは数字的には、賛否両論になったテレビ版での最終2話、後に劇場版になった最終2話なんだよね。最終2話があのような形になったのは、成り行きだから数字としては偶然の一致だけど、今回の新劇場版を作るにあたってそのシーンを残しているのはなんだかあえてやっているようにも見えなくない。ってことはシンジくんは今後のエヴァの物語の先行きを案じて25曲目と26曲目を何回もリピートしているように思えなくもない。「ああ、僕の選択は正しかったのだろうか?今回はどんな選択をすればよいのだろうか?」てな具合で。まあもちろん、これはかなり無茶な読み込みですが。
ちなみに一緒に言った人たちが一番盛り上がったのは綾波の乳首の話でしたw

*1:あ、TVでは死んでないね。死ぬ設定やっただけか。