進化論から見た音楽3(または音楽に関する認知科学、進化心理学とかの研究とか)

とりあえず以下を読了。
音楽の生存価―survival value of the music
福井 一
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歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化
ティーヴン ミズン Steven Mithen 熊谷 淳子
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福井氏は音楽を自然科学的アプローチによって探求する「音楽行動論」を提唱する学者である。非常にインパクトのある装丁、なんだか殺気が感じられる編集からも伺えるとおり、各方面の音楽に関する研究を滅多切りしている。というか音楽之友社からこれが出版されるのがなんだかスキャンダラス。
内容は前半でこれまでの音楽に関する研究を批判し、後半で福井氏が自信の研究を紹介すると共に、音楽への自然科学的アプローチの先行研究を紹介している。書評などで、いわゆる「モーツァルト効果」や「α波」とかの音楽の疑似科学を滅多切りすると知っていたので、頼もしいなと感じていたが、斬られるのはそういう疑似科学だけじゃなくて、音楽に関する自然科学以外のアプローチ(人文系は言うに及ばず、ってか人文、社会系をまとめて社会科学として)も滅多切りにされていた。つまり、私も斬られていた(笑)。
前半のこれまでの音楽研究の批判点はいちいちもっともだ。さすがに「モーツァルト効果」や「α波」をまともに扱う研究者はもうそんなにいないとは思うが、主に人文、社会系の研究が音楽のマテリアルな面を重視していないことはもっと批判されるべきだと思う。いわゆる標準社会モデル(SSSM)という批判の仕方が、社会科学の一側面しか正当に扱っていないことはあっても、そのような側面によって「文化研究」と称されるものの限界を自ら設定してしまっているのは勿体無いことだ(この辺についてはhttp://www.human.nagoya-u.ac.jp/~iseda/works/ev_sociology.htmlなどを参考に)。
そんでいたるところを斬りまくったうえで、後半で自らの研究の紹介を紹介しているが、後半に行くに従ってどんどんと雲行きが怪しくなっていく。もちろん福井氏のような音楽の脳科学的研究はまだ始まったばかりであるが、音楽と性ホルモンの関係によって男性作曲家の創作活動に季節的周期性があるという結論などは直感的な胡散臭さを感じてしまう(どうやら秋には作曲数が少ないらしい…)。詳しくは、彼の論文を読まなければわからないが、性ホルモン以外の要因も考えられそうであるし、そもそも作曲というのは継続的な行為であるように思われるために、性ホルモンと作品数の間に単純な連関を見る時点でなんだかおかしいように思われる。その他にも、音楽を聞いたときの反応に性的な非対称性が見られること(男性ではテストステロンが下がり、女性では増加する)が、音楽の適応性に関する社会統合説を支持する理由としては弱すぎるなど、まだまだ研究として未熟な点は否めない。
いや、それでも私はこの本があげている理想――つまり音楽を自然科学的に研究することによって音楽の謎に迫れる――には、賛同するし、人文、社会系の研究者としてもそのような自然科学的アプローチが生産的であり、注目しなければならないことはよく理解した。斬られた立場から言うと、彼のような「科学至上主義」(彼が批判する「芸術至上主義」という言葉に対してあえて使うが)が納得するような研究を達成するために、人文、社会系の側からももっとがんばらなきゃなって理解しました。


次は、認知考古学者スティーヴン・ミズンの本。続けて紹介して悪いが、後半に行くに従って想像の領域が多くなるのは同じだが、こちらの本の内容は素晴らしいものであった。
そもそも認知考古学者ってなんなの?って思われるかもしれないが、これは人の心などの認知機能の進化を考古学的な側面から研究する分野のようだ。実際には、考古学は骨や道具などの発掘から人類の祖先を想像するしかないので、人類学、霊長類学、発達心理学、脳神経科学、民族音楽学などの様々な分野での知見をまとめた学際的な研究分野である。幅広い知識と共に一般向けな読みやすい文体は、専門家でなくても音楽に興味がある人なら誰でも楽しめるはずだ。
前述の福井氏の本では、音楽の進化的適応性に関して三つの説がまとめられていた。

  1. 性選択説
  2. 母子相互作用説
  3. 社会統合説

1はダーウィンやミラーなどが主張するような音楽が配偶者選びに関わるという説、つまりは求愛する鳥の鳴き声のようなものという説。2はコリン・トレヴァーセンなどの児童心理学研究の知見から予想される、母と子のコミュニケーションや子供の認知的発達のために音楽が必要であったという説。3は福井氏自身も支持する音楽が社会の統合、つまりみんなで協調した行動をとるのに役に立つと言う説である。
様々な知見から議論されるこの本でのミズンの説は、これらすべてが合わさったもの、まあ音楽の適応性の総合説とでも呼ぶべきものである。ただし、1〜3の要素に含まれない重要なポイントとして、現在の構成的言語(つまり単語と文法によって作られる言語)の前段階として存在しただろう全体的言語(つまり文を単語に分節化できない言語)として、音楽が機能していただろうという点である。そしてそれらの様々な適応性によって存在しただろう全体的(Holistic)、多様式的(multi-modal)、操作的(manipulative)、音楽的(musical)、ミメシス的(mimetic)な、現在の言語より古いコミュニケーションを「Hmmmmm」と名付けて、ネアンデルタール以前の初期人類が「Hmmmmm」でコミュニケーションしていたという仮説を立てる。
つまり、この本でミズンが描く人間の認知機能とHmmmmmでのコミュニケーションの進化は、音楽と同時に言語にも関わる人間性にとって非常に重要な側面である。ミズンの説の確証性はまだまだだと思うが、ブラッキングの「人間の音楽性 (1978年)」への熱い信念から描かれる人類の祖先の音楽性は生き生きとしたものだ。そして、前半部の音楽に関わる最新の認知科学の紹介と、全編に渡るミズンの音楽への考察は音楽を研究する者として多くのインスピレーションを与えられるものだ。ともかく、音楽の専門家ならずとも一読の価値がある。