ジャンルとアイデンティティ――ポピュラー音楽学におけるジャンル論の簡単な(いい加減な)まとめ2+

前回が長くなってしまったので、今回はアイデンティティの問題、とくにジェンダーセクシャリティとジェンルの関係についての研究をざっと補足しておきます。アイデンティティはカルスタ、ポスコロとかの中心問題であるんで、理論的蓄積とか周辺の議論が込み入っていますので、その辺はとても手におえないです。ハイ。自分はあくまでもジャンルに関して言語哲学的な立場から研究しようとしてるんで、まあこの辺は基礎教養としてしか押さえることができません。
音楽ジャンルとジェンダー、セクシャリィティの間にいかなる関係があるのだろうか、という問いはポピュラー音楽において非常にありふれたものであります。ロックは往々として男性的なものとして語られ、ディスコはゲイ的なものとして表象されたりすることは珍しいことではありません。ポピュラー音楽研究では、この関係においても人種やエスニシティといった他の社会的アイデンティティと同様に、本質主義から構築主義といった流れを見ることができます。
ロックとジェンダーセクシャリティの関係性を最初に説明したのは、サイモン・フリスとアンジェラ・マクロビーである。ここではロックは表現と管理において男性的な形態をしているということが主張された。具体的にはエレキギターが男根のように扱われたり、ロック産業が男たちによって管理されているといことである。しかし、このような彼らの議論は本質主義的な側面を強く帯びたものであり、フリス自身自ら批判をすることになる。
このような音楽ジャンルとジェンダーセクシャリティの間の関係性を本質主義的に描く議論は、後に続くより詳細な事例研究によって乗り越えられてきた。具体的にはロバート・ウァルサーのヘヴィーメタル研究やジョアンヌ・ゴトリエブとゲイル・ウォルドのライオット・ガール(Riot Grrl)ムーヴメントの研究などによる。ウァルサーによれば、ヘヴィーメタルに見られる男性的な特徴は、無媒介な文化的「表現」ではなく、意識的な「戦略」なのである。ミュージシャンやオーディエンスは、自分たちのセクシャリティを表現しているのではなく、むしろ「一体性課業(identity work)」とウァルサーが呼ぶものに巻き込まれているというわけだ。確かにヘヴィーメタルには非常に異性愛的でミソジニー的な特徴が見出せるが、同時に女性的とされる服飾の要素を利用したりするような両性的な特徴も見受けられる。日本の文脈におけばヴィジュアル系などのトランス・ジェンダー的な側面が含まれる可能性もあるのである。ここで重要なのは、そのような特徴をミュージシャンやオーディエンスの内面から出てくる本質的な表現と捉えるのではなく、ジャンル内部の戦略的な差別化の表れと考えることであるのだ。さらにゴドリエブとウォルドは90年代アメリカのフェミニズムの運動と結びついたライオット・ガールの音楽を研究することで、これまで男性的と考えられてきたロックが、既存のジェンダーセクシャリティの規範に意義を唱える形で流用(appropriation)されうることを示した。
こうしたジャンルとジェンダーセクシャリティの本質的な繋がりを疑い、その複雑な関係を描いた研究でより興味深いのは、キース・ニーガスがポピュラー音楽理論入門で描いた、カントリー・ミュージシャンであったk.d.ラングの事例である。カントリーは通常、保守的な白人労働者男性と結び付けられて語られることが多いジャンルであるが、80年代を通じてカントリーが独特なレスビアン・サブカルチャーと結びつき、最終的にそのサブカルチャーのアイドルであったk.d.ラングがカムアウトするに至ったのである。k.d.ラングはそのキャリアの初期から保守的なカントリー音楽業界の偏見と衝突してきたが、同じ時期に北米と英国のクラブにおいてレズビアンによるカントリー&ウエスタンシーンが発展していったのである。このような状況の中で彼女自身もそのようなオーディエンスのシーンを的確につかみ、音楽産業側のプロモートやパッケージングとは関係ないところで、彼女とファンの間に新たな意味を生産していったのである。彼女のファッションやイメージ、身振り、MCなど様々な行為において、彼女とファンはレズビアンサブカルチャーにおける意味を作り上げ、共有すること自然にカムアウトをするに至ったのである。
以上の事例において重要なことはニーガスに言わせれば「いかに同じ音楽ジャンルが異なる場所でまったく別の意味を帯びうるか、そしてアーティストと聴衆にとってまったく同時に別の意味をもちうるか」を例示していることだ。そしてこうしたある音楽とアイデンティティの結びつく関係性において、「接合(articulation)」という概念が非常に有効になってくる。「接合」とはカルチュラル・スタディーズの中で長い歴史を持った概念であるが、ポピュラー音楽においてごく大雑把に言えば、音楽の社会的意味は生産と消費が出会うところで初めて生まれるということを説明するものである。つまり、音楽の意味は生産や消費の場においてあらかじめ決定されているのではなく、その両者が出会うところで新たに作られるのだ。
以上のようにジャンルとアイデンティティの問題は非本質主義という理論的立場と「接合」という理論装置によって、個別的な事柄の複雑を解きほぐすと共に、創造性や革新、音楽産業の構造、音楽の意味、演奏行為、表現といった他の大きな問題とあわせて考えていかなければならない。