運命とか何か

毎日こんなそっけない日記なのになんだかアンテナ数は増え続けている。なんだか読んでいる人に申し訳ない気分にもなるので、拙くとも何か書いてみる。
今日、人と会って「運命」について話した。「運命」といってもそれは超常現象のようなものでもなく、人間が自らの人生の体験を再構築したときに生まれる小説でいう伏線のようなもの。おそらく近代の人間は自らの生を噛みしめるとき、小説や映画のアナロジーとして理解している。まあ個人の人生に限らず、現実に起こった歴史にしろ、空想の夢にしろ、我々がなにかの出来事を理解するというのは必然的に物語という形式を纏うのである。そしてそんな物語としての人生を読むとき、伏線のように表れるモチーフが「運命」という感覚をもって体験されるのである。
そもそもここで私が「運命」について書こうというきっかけは、今日たまたまあった友人が偶然に「運命って信じますか?」なんて言いだしたからなのだが、ちょうど数日前、私は恋人に少々青臭い興奮を交えて、自らの人生の「運命」という感覚について話していたのだ。
なんの関係もない二つの出会いが、なんだか背後に作者がいるかのごとく感じられる瞬間。
そんな「運命」についての「運命」的感覚を今日感じたわけである。