難しかったらゴメン

昔の記事にトラックバックやらコメントやらでちょっとうろたえてますが
http://d.hatena.ne.jp/shinimai/comment?date=20050620#c
http://d.hatena.ne.jp/samurai_kung_fu/20050907
一回書いたエントリを間違って消した時点、まあこの話どうでもいーやなんて思ってたんですが、思っていたいじょうに誤解、誤読のされ方が激しいのではとか感じたので改めて書きます。まあ文章が誤読されたりってのは仕方ないと思うけど、自分は他人と議論で理解しあうのをあきらめない性格なんで。主張が違うこと自体ならいいけど、お互いに相手の主張を誤解しながら断絶するのはいやだから。

以前もネットラジオしているときに「お前の話は簡単に説明できることをわざと難しい言葉を使って、俺らを馬鹿にしている。」と言われて、困ったことがあり、さらにそれに対して「いやわざと難しい話をして、君たちを馬鹿にしているわけではないし、難しい言葉じゃないと説明がつきにくいこともある。」とか反論したら「それみたことか!また難しい言葉使っていいやがって!」とか責められて、じゃあだったらどうすりゃいいんだよ、って感じであった。今回もまたこんな余計なことを書いて、また怒られたりするんじゃないかと不安ななんだけど。

まず最初に言うべきことは、文章や話には文脈ってもんがあって、あらゆる人に等しく理解されるような文章は書けないってことだ。もちろんネットてのは世界中の人に見られるもんだというのはわかるが、だからっていって世界中の人に等しく理解されるように書かなきゃいけないなんて思わない。だったら全各国語で書けよ、って馬鹿な話になりかねないし。

で、俺の文章が難しいって話だが、本人は別にあえて難しく話そうなんて思ってなくて、自分の想定する読者に向けて自分の話しやすい言葉を使っているだし、人を馬鹿にするためにやってるわけじゃないし、馬鹿にするときはそれとわかるような言葉遣いをしてるつもりなんだが・・・

まあいいよ。仮に俺の話が難しくて、普通の人(って一体だれだかわかんないけど)にはわかりにくいとしよう。だとしてもそれは何も読んでいる人と俺の優劣を決めるもんでなくて、単に文脈を共有していないってだけである。俺だって自分と違う文化の人たちの話はわからないときがあるけど、だからって馬鹿にされているとは思わない。そりゃ酒呑んでるときに友人たちが俺の知らない言葉ばっかりでしゃべっていたら、それはそれで疎外感を感じるかもしれないけど、ネットの文章は何もあなただけに向けたものじゃないんだから、勝手に馬鹿にされたとか思われても困るし、じゃあもっと難しいこといってるやつもいるだろとも思うし。

例えば、その話をわかりやすい平易な言葉で書いたとしても、逆に「お前は俺のことを馬鹿にするためにわざと簡単な言葉を使ってるだろ!」とか凄む、スゴイ人がいないとも言い切れない。

単にわかんない言葉があれば、素直にきけばいいし、それでわかりあえるなら幸いだと思う。なんだって俺はあなたを馬鹿にするために文章を書かなきゃいけないんだ。

ってことで質問していただいたsyasyamaruさんにできるかぎり答えます。

・文化に対する非常に素朴な感覚的判断を批判してきた理由
これは以前の書いたエントリやそれについてのコメント欄とか友人との口頭での議論とかを踏まえて書いてあります。下のエントリを読んでもらえばわかると思います。
http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20050419/p1
http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20050423/p2

中二病とか高二病とかの趣味の卓越化のメタ・ゲーム
中二病とか高二病とかは上のエントリやはてなのキーワードを見てもらえばわかります。で、卓越化ってのはブルデューの用語、ディスタンクシオンの訳語として使ってます。乱暴に言えば、文化的な優位な立場に立つためにアピールすることです。中二病とか高二病というレッテル貼りのゲームは、他人の趣味をメタ的に見ることによって自分の趣味の良さ(というか寛容さ)をアピールすることになっていると言ってるわけです。

・冗談として着地する地点は「まあ趣味による卓越化とかって
上で言った中二病とか高二病というレッテル貼りのメタ・ゲームはさらにメタから見ることによって「まあ趣味による卓越化とかってくだらないよねー。結局聴いて良いと思ったもんがいいよねー。」っていう立場に落ち着きます。つまり趣味には貴賎が無く、感性的な感覚だけによって良い悪いが存在するという立場です。

・殺伐とした自然界の秩序、つまりは弱肉強食の縦の世界に対抗、いやそれほど強いもんではない
あたりまえですがが、人間の世界と違って自然の世界は過酷です。障害をもって生まれたりすれば、飢え死にすることになったりします。そこでは肉体的な強さ、性的な魅力、生き残るための知恵が絶対的な価値でります。それに対して、人間の世界でも確かに性的魅力や金銭的な裕福さは重要な価値ですが、そのような弱肉強食な価値観とは別の価値観も存在しており、ただモテれば良い、ただ金があれば良いというわけではないと思うのです。

・横軸を強固な一つの軸ではなく、さまざまな力関係が働いた雑多な諸軸なんだが、それらを自然の縦軸に完全に還元させることはできない横軸だ。そのような横軸
これは上に言ったことと共通するのですが、ここでは縦軸を「自然界の弱肉強食の力関係」、横軸は「人間界の文化の力関係」としています。縦軸は生物としての人間にとっての価値でありますから、万人に共通した非常に強いもんです。一方、横軸はさまざまな文化圏によって違った価値観であるので、雑多な力関係であって、なかにはその価値観が反転するような二つの文化もあると思います。だけれども、ここで重要なことは、その横軸の力関係がいかに雑多であるといっても、それは縦軸の自然界の力関係に還元することができないということであります。というか自然化の力関係――人間の世界で言うと、モテてるやつが偉い、金を持ってるやつが偉いということ――に還元できる価値観は人間的ではないと思うのです。

・感覚的な、感性主義とでも言うべき文化観はその現状を追認する構造
これは以上の私の文化観から眺めた場合、最初のほうで述べた感性主義ともいう態度は文化的な態度として受け入れられないということです。つまり最初に述べたような「感覚的に良いもんは良いんだよ」というのは突き詰めれば人間の動物的な欲求に行き着きますが、それは文化的な判断じゃないっと思うのです。というかそのような純粋に感覚的な判断ってのは人間にできないと思ってます。

・ここ強調しすぎるとなんだかマルマルしてくるのでアレなんだが
このコメントに関しては素直に謝ります。これは極めて閉鎖的な人間関係の中で使っているジャーゴンでして(笑)、マルマルとはマルクスマルクスしてるってことです。つまりここでの話を強調しすぎると「下部構造が上部構造を決定する」みたいな単純な階級論になって微妙かな、という全体の趣旨からいったら枝葉にあたるところゆえわざとわかり難く書きました。

以上でつたないけど説明させてもらいました。
で逆に質問ですが、syasyamaruさんはどの文脈でこのエントリをお読みになったんですか?その文脈によっては私の話はまったく関係ないかもしれませんので。
あと「聴いた音楽がせっかく良かったので、なにかもったいない気がします。」
って何の音楽のことですか?もしかして我々のバンドのことだったら非常にうれしいです。(勘違いだったらカナシー)
なんにせよ、文書だけではつたわらなことがあると思うので、よければライブ来てください。最近そればっか言ってますが。