ビートについて

新トピックを立てて見る。タイトルは若気の至りって意味である。
増田さんが日記をほとんど更新しなくなり、mixiにはまりついにははてな参入した(笑)のだが、自分としてはあの場所:増田の「本日つらつらと考えたこと」という若き増田青年の意志を告ぐものとして書くものとする。ってか今見たら大きく更新されているのではないか!
http://homepage3.nifty.com/MASUDA/
「その他」の「昔の駄言」に入れられてしまったが、俺はここの文章がかなり好きで(いやもちろん論文も好きですよ)へこんだ時読むことにしている。その表現力には足元に及ばないかもしれないが、とにかくこの若さが費える前に、俺も思う存分青さ剥き出しの文章を残しておこうとと思って。つまりアレです、若いうちにヌードを撮影する感じみたいな。

で今回はビートなのだが、要するに卒論書きながら思ったのである。ああ俺にもディーンのような奴がいて横で「そうだ!やれ!」とか言ってくれれば、立ち止まらずに書けるのにってことだ。
「そうだ!お前の書くことはすべて正しい。そんな卒論なんかさっさと済ませよ。女の子たちが待ってるんだ。」
そうつまりビートにとっては小説なんてものは人生の楽しみを優先させるためにやっつけで書いてしまうものだ。そんなやっつけ仕事でできたのが『路上』である。ビートとは「本当のことは本や芸術には書いてない」ことを知っている態度であり、ひたすら人生に酔うばかりなのだ。
それに比べmixiにビートのコミュニティがあって一応入ってはいるものも、あまり馴染まずにいる。というのもそこで出る話題はビートの小説や音楽や映画やらであるわけで、そんなもんをあれこれ言っているのはビートではないからだ。
結局、ケルアックの小説が素晴らしいのはケルアックの人生が素晴らしいからにすぎない。
ああともかく何にも考えず書き進めたい。