LUNA@ライブビート

暇ないとかいいながらライブとか見てるし。
しかし、さすがに解散するとあってNHK505スタジオは満杯となった。
今回は栗コーダカルテットと同時収録で栗コーダが先に出演。ほのぼのとした雰囲気の中でリコーダーを思う存分堪能。栗コーダーカルテットNHKのつながりは実は濃くて、ピタゴラスイッチとかのテーマ曲を手がけてるのも彼等である。そのほかにも聞いたことがある曲は多かった。
で、お次がルナだがライブビートって自分で転換とか準備するんだね…なんつーか場所的にもライブハウスってわけじゃなくて学園祭な雰囲気である。そして演奏もなんというか学園祭。ともかくディーン・ウェラハムという人はいくら年とっても初々しい演奏(笑)をしてくれる。もともと相当人見知りで出たがりじゃないらしいんだけど、ソロギター弾くときもうつむきがちで突っ立ったままである。それでもあのギャラクシー時代を彷彿させる、初々しくもエモーショナル演奏を聴かしてくれた。
だいたいどのアルバムからも均等にとられた構成で、あらゆる虚飾(もちろんNHKスタジオだから照明とかがないわけだが)を廃した淡々とした演奏。そしてライブも後半大詰めを迎えたところでディーンがCのコードをちょっとためし弾きした瞬間まさか…と思ったが
案の定ギャラクシー500時代の名曲「ブルーサンダー」が演奏された。なんというか悔しさというか感動というかなんともわからない複雑な気持ちの中、目頭が熱くなった。
「ファラーウェイー」というコーラス部分からディーンのソロになるところでもう胸はいっぱいだった。本人たちはたぶんファンサービスだと思って演奏してくれているかもしれないが、この曲があまりにも名曲すぎるだけにとてつもなく切なくなった。伝説的なバンドの一人の人間が、そのバンドを解散した後も前のバンドの曲を演奏するという不幸はロックの歴史の中で何回も行われてきたであろうが、その時に感じたのは本質的にライブな音楽を志向するロックが名曲、名盤というものによってある固定された作品のアウラとして機能する瞬間のようなものであった。儚いものである音が名盤という幻想によって固定されたものとして機能し、実際の演奏がそのアウラを追い続けるという不幸。
しかし、そんな複雑な感情は次の曲が始まった瞬間、はじけとんだ。「ブルーサンダー」の後に何も言わず演奏されたのは、たった二つのコードで作られた恐ろしく単純な曲。そうそれは90年代のUSインディーロックの実践的パイオニア、Kレーベルを主催するキャルビン・ジョンソンのバンド、ビート・ハプニングの名曲「インディアン・サマー」だったのであった。まさにディーン、そしてルナは80、90年代のある特定の音楽文化に対してのリスペクトを行ったわけである。そしてその文脈から考える以上は「ブルーサンダー」を演奏するというのも自らが属した音楽へのリスペクトであるのだろう。
細かいジャンルは違えど、80年代に熟し90年代に爆発したオルタナティヴとまとめられる新たなロックは、すでに保守的な中年の持ち物になってしまった60年代のカウンターカルチャーに消極的な対抗をすることで生まれたといえる。そこでは次々と消費されていくスターになんかになるよりも、日常にくらしながら淡々と好きな音楽をやることが理想となり、Kレーベルのキャルビンはまさにそれを実践してきた。そしてそんな彼等の名曲をカヴァーすることでルナは自らが生み出された文化に対する帰依を表し、同時に自らが生み出した音楽を誇りとしたのだろう。
まあそんな感慨も解散することを考えると単なるノスタルジアなのかもしれない。ただ淡々と控えめに演奏する彼等とそれを優しく見守るオーディエンスを見ていると、こんな形でも音楽をやり続けていけたというのがなんだか奇跡のようにも思えるし、やはり今もかわらずそれが我々の世代の理想のような気もしてくるのであった。

ロッキング・オン風のライブ評は終わりにして、あしたの原宿アストロホールでのライブを楽しみにするか。そうそう帰りにタワレコ

ロマンティカ

ロマンティカ

買って今聴いています。新作は明日ライブハウスで買ってサインもらおう。