最近の読書

ブルデューの『ディスタンクシオン』読み終えた(ことにした)
なにはともあれ美学を学ぶ自分にとってこの本は凄く重要だということが改めてわかった。
というかこの本は趣味判断という問題を扱った全くもって正統な美学の本だといえるし、谷川先生が言っている*1とおり、デュルケームによって社会的事実とされた芸術を論じるあたってそれが社会学を方法論として行われるのは当然だといえよう。
次は『芸術の規則』の二巻を読みたいけど、もう増刷してんのかな。生協には相変わらずないし。

あとユリイカはっぴいえんど特集やっと読みました。前半のインタビューとかは、「ああ、やっぱこの人たち文化資本高い支配階級だなー。」とか思っちゃいました。松本隆町田康の質問に対して否定してたけど、鈴木茂なんて乗馬やってるとか。
後半の方々の論説は卒論に参考にも。しかし南田さんのブルデューの『芸術の規則』における芸術場の自律の話を日本のロック場に当てはめるやつはあまりにもできすぎてて(笑)逆に胡散臭く感じてしまうのは僕だけでしょうか。というか常に正統的なロック場のあり方が日本では純粋芸術の場所にあるってのは、音楽やってる側としては否定したい(笑)というか否定する、だからこそ俺は常にアンチはっぴいえんどなんDEATH!
いっとくけどな未だはっぴいえんどはっぴいえんどなんて言ってるやつはバッドエンドなんだよ!

追記:
そうそう芸術の規則の三つの立場はロック雑誌にも使えるではないか?とロキノン資料をまとめつつ思う。インテリのNMMとミーハーのMLに対する第三の立場としてRO。ただこの場合、ROがロック雑誌の自律における正統的存在になったかという点では論争になりそうだが、芸能雑誌としてMLが存在して、NMM(MM)がアカデミックに様々な音楽を扱う雑誌であれば、ROは純粋にロック雑誌と言っちゃていいんじゃないか。すくなくとも経済的には自律してるともいえるし。
ってかこの図式なんだか、なんでも扱えそうな気がしてくるのは俺だけでしょうか?

*1:『美学の逆説』ちくま学芸文庫