1972

栗原さんが教えてくれたもの。初め法学部図書館にあるというので行くが、なかなか見つからず、なんと応対していた司書が私的に読んでいたためであった。なんにもあやまんねーの、罵倒してやろうかと思ったが、大学の他学部の図書館なんて付き合いが物言うんで貸しを作ったつもりで。それにくらべ大宅の事務の方々は私設で金とってるかもしれんが非常に親切で好感触であった。
内容を少し読んで、僕の卒論への重要さが一瞬でわかったので結局神田までいって即買い。二度手間だったが、この本をゲットしたのは重要。栗原さんありがとう。
大筋は簡単に言ってみれば、現代の文化的状況のはじまりが1972年にあるのではということなのであろうが、週刊誌、音楽誌など様々な雑誌から進められる話はこんな一言では言い尽くせぬ示唆を与えてくれた。
卒論に関る問題は主に二点。
一つは日本のロック(今でいう洋楽)受容の問題。僕は「三億円事件」とかを知らないほど歴史音痴ではないのだが、日本のロック受容においてグランド・ファンク・レイルロードがそこまで重要なことは認識していなかった。ジミヘンやグレイトフル・デッドが60年代の日本にいるわけないのは当然だが、やはり僕ら(同世代のロックやろうたちも)の頭なかでは彼らの光に隠れてGFRなど見えやしないのである。当たり前だが、自分のロック史が作られたものだと理解できた。
でこの本で語られることは、日本でロックが熱く盛り上がったのは、ロック史的常識である60年代ではなく70年代初期であるということ、なかでもこの72年が重要だということ。奇しくもこの年にROは創刊されている。
もう一つは72年はぴあの創刊だということ。細川周一先生がぴあの記号学という本を書いてたことも驚いたが、当時のぴあはROと同じような同人誌的な形でスタートしており、その情報の集積という特徴はある種72年以前の文化批評に対するアンチテーゼだったようだ。このぴあとROの創刊の一致は後に広瀬陽一が語る「チラシ型」と「妄想型」と呼応するように思えてならない。坪内の主張と合わせれば、音楽誌のこの二つの類型は1972年にすでに用意されていたという…