なんと表現したらいいのか、よくわからないが、毎日日記を書き付けていればそういうことも起きよう。つまり、今日、親しくしていた人の死を知ったのである。

金沢にはキーパーソンとなる人が何人かいる。そこは既に故郷とか、どうとか説明つけるというよりも、そこに僕自身がいるのが感じられる場所となっている。初めて、その場所に行ったときを、そんなにはっきりは覚えていない。そもそも、そのジャズバーでは常に僕たちは酔っ払っていたのだから。そこには、大学に入ってから、ほぼ金沢に帰るたびに飲みに出かけた。彼は、年の割にふけて見えた。というよりも彼にはもう時間の流れさえ感じられない。おそらく僕がまだ幼いからであろう。二十年とそこらを生きた自分にとって、彼はもう何千年と生きているように感じられた。それは高々百年を満たない、カウンターの後ろに並べられた多くのジャズのレコードたちが、僕には太古からの遺産に感じられたように。しかし、彼はその風貌から察するよりも、かなり若かった。僕にとって、彼の年齢に達した人で、音楽についてそこまで語ったことがある人はいない。彼は、いつもジーンズにTシャツという砕けた格好をしていたし、われわれの世代と話すときも、いつもと同じ視線にいた。僕は、ほぼジャズと言うものをそこから学んだ。それは概念としてというよりも、方法のようなもの。場を通じてわからされたようなものである。ほとんどわけもわからない頭で、僕は彼に、コルトレーンやマイルス、ドルフィー、コールマン、そしてサン・ラに至るまで聴きとおした。そこは、僕にとってジャズというものの世界の中心であった。でかいスピーカーと低い天井、壊れかけたスツールを通して、僕はジャズの中にあった。

金沢のジャズバーの老舗、ヨークのマスターが先月亡くなられたそうだ。僕にとって、ジャズを知る一番大きな存在であった彼ともう話せられないのは残念だ。しかし、ヨークはママが今後も続けていくそうなので、今年の夏は追悼の意を表して、ぜひとも一晩を明かしたい。いつまでも続くことを願うことは傲慢であるが、永久にあらんと欲す、金沢一のジャズバー、ヨーク。