概念、分析、言語

前回http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20060923/p1はムーアのCOQAの説明とその反論を簡単にしておいたが、今回は示唆したとおり、COQAを主張するムーアもそれに対して反論する分析的、定義的自然主義者も概念や性質というものに対する誤った考えがあるのではないかということを説明したい。
ここではまずミラーがまとめた反論のうち、2番目のThe ‘no interesting analyses’ objectionを説明して、それに対するムーアの再反論である「分析のパラドクス」から、COQAを提出するムーアが概念と言葉の間にいかなる関係を前提としているかを考えたい。
The ‘no interesting analyses’ objectionは簡単に言うと以下のとおりである。

ムーアによれば、P*であるなにかがPであるかどうかと質問することが意義がないときのみ、P*というPの分析は正しいとされる。よってムーアの議論は、それが知識を提供することがまったくなく、関心がまったくわかないときのみ、P*というPの分析は正しいとされるということを含意している。だがこの含意は間違っている。分析は明らかに知識を提供し、関心がわくものであり得る。・・・・・・だからムーアの議論にはどこか間違ったところがある。(Miller 2003:16)

この反論の正当性はともかく、これに対してムーアは「いや、実際に正しくて、知識を提供して、なおかつ関心がわくような分析は不可能である。」と真っ向から再反論する。その理由となる「分析のパラドクス」を次に見てみよう。

ある概念Cを他の概念C*として分析しようとしている。仮に私たちは概念Cを理解している。もしCがC*として分析できるとするならば、C*はCの意味の一部である。ならばもしCが正しくC*として分析されるなら、この分析は関心もわかないし、知識も提供しないにちがいない。(Ibid.:16)

ミラーが指摘してるように、このパラドクスはにせのパラドクスであってパラドクスではない。詳しい解説はしないが、要するにここで言われる「分析のパラドクス」とは、演繹においては真理保存性(truth-conservativeness)はあるが、情報量は増えないといった類のことである。確かに三段論法などの正しい演繹は新たな知識をもたらすものではなく、前提の中に含まれる真理を保存したまま結論をするだけである。しかし、このような演繹の特徴が「分析」一般にあると言えるのであろうか。
ここでは言語哲学で使われる狭義の「分析」という意味を無視して、「水はH2Oである。」というのが一つの分析だと考えてみよう。そうしたとき、この分析が「実際に正しくて、知識を提供して、なおかつ関心がわくような」ものであることは明らかだと思われる。それと同様に、概念の分析においてもやはり「実際に正しくて、知識を提供して、なおかつ関心がわくような」ものはあるのではないだろうか。
おそらく「分析のパラドクス」の前提には、「概念=言語によって記述されるもの」という戸田山和久が言う「文パラダイム」のようなものがあると思われる。「文パラダイム」とは科学哲学の考え方として「科学理論を文の集まり」だと考えることだ。それと同様に「分析のパラドクス」には概念C、概念C*といったものをそもそも文の集まりによって記述されるものと考えているように思える。だからこそ、Cが正しくC*として分析されるなら、そこにはなんら新しいものは付け加えられない。
しかし概念とはなんであろうか。戸田山が言う科学哲学における「文パラダイム」から「意味論的捉え方」へのシフトをここで当てはめると、概念とはそれを記述する文の集合そのものではなく、世界の中をある仕方で切り取って理論化した何かであるように思える。「犬」という概念は「動物」、「哺乳類」といった多くの概念の集合で分析可能ではあるが、それらの分析以前に「犬」という概念が他の概念によって記述されているというわけではない。そして今後、さまざまな発見によって概念「犬」の新たな分析が可能となる事態は存在する。
とここまで書いてきたけど、混乱してきた。ともかく概念に関して「意味論的捉え方」をするのは有意義ではないかということをとりあえず指摘しておく。本当はフレーゲのSinn und Bedeutungを「意味論的捉え方」で説明してみようと思ったのだが、今の段階ではちょっと無理。というかまだちょっと無理がある気がする。でもここからシブレイの「美的概念」への有意義な反論はできると思われる。なぜならシブレイも基本的にムーアと同じく「美的概念」は他の概念の集合と分析的に同値でもないし、還元も不可能とし、それを理解する能力をまさしくムーアの「直観」のような「感受性」という神秘的な概念で説明しているように思われるからである。