オタク的権威について

直接的には、http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1536031.htmlこれに端を発した議論、揉め事、その他諸々なんだが、もうだいぶ落ち着いてきたので、というわけでもないですが、この議論、揉め事、その他諸々に触発されて展示や博物館/美術館、さらに文化の「翻訳」という件について少し文献を漁ったので報告しておこう。
さて、発端となったベルサイユ宮殿での村上隆氏の作品展とその反対運動が実際のところフランスでは大したことではなかったという話はいろいろなところで出ている(http://narinari.com/Nd/20100914239.htmlhttp://www.cyzo.com/2010/09/post_5366.html)。まあ何事にでもデモをするフランスの国民性を考えると、こういう内実は予想されることで、そのデモの動機も素朴なものであり、要するに「ベルサイユ宮殿」という国家的象徴の空間に村上隆の作品が相応しくないというだけのことだ。これは皇居や靖国、もしくは国立博物館ダミアン・ハーストの展示でも行えば、日本の誰か(多分右翼だと思うけど)が抗議活動をするだろうと思うので、直感的にも彼らの行動の動機は理解できるだろう(なんせ日本の右翼は私営の映画館での上映を阻止しようとするんだから、国営の展示ならなおのことだろう)。
しかしながら、この件についての議論、揉め事、その他諸々はフランスのおっちゃんたちの行動とは無関係にネット上で数日間続き(もしかしてまだ続いているのかもしれないが)、上記で上げた「国民の象徴的な空間での表象行為の正当性」という方向ではなく、「ある(サブ)カルチャーを代理=表象することの正統性」という問題に収束していったように思われる。まあ最初の方は議論が混交していてなんだかわからんくなっていたが、このあたりhttp://togetter.com/li/46967から議論がそういうふうに理解されてきた。私も最初、この騒動での村上隆東浩紀の主張に違和感を持っていたのもそういう文脈である。要するに、これは「オタク的権威について」の問題なんであろうと思ったのである。
非常に印象的なことに村上隆は自身の活動について「翻訳」という言葉を使っている。民族誌エスノグラフィー)についての批判的な論文、博物館/美術館の役割、ポストモダンの人類学という分野で名が知れているジェイムズ・クリフォードも自らが擁護する民族誌や博物館/美術館の役割についてなど、たびたび「翻訳」という言葉で説明しているのは興味深い。つまり、民族誌や博物館/美術館が担う役割とは基本的には文化の「翻訳」なのである。もちろん、彼はグラムシ由来のカルスタ用語、「ネゴシエーション」や「流用」、「接合」というような言葉などと類比的に使っているので、この「翻訳」が西洋の人類学者が一方的に第三世界の文化を理解可能なものにしたためるということではない。相互作用を通じて、「翻訳」されるもの、「翻訳」するものの両者が理解可能なものとして文化を認識していこうではないかという、積極的な主張なのである。
この発想は、基本的はクリフォードの影響力の非常に強い論文「民族誌的権威について」から来るものである。これは翻訳されているので挙げておく。
文化の窮状―二十世紀の民族誌、文学、芸術 (叢書・文化研究)
ジェイムズ・クリフォード 太田 好信 慶田 勝彦 清水 展 浜本 満 古谷 嘉章 星埜 守之
440903068X

クリフォードの文章は時代的なものもあってなかなか読みづらいんだが、すごく的確にまとめているのがこの本のあとがき。
人類学の周縁から―対談集 (叢書・文化研究)
ジェイムズ クリフォード James Clifford
4409530321

以下、該当箇所引用。

民族誌的権威について」では、民族誌の権威を保証するものとして、経験的権威、解釈的権威、対話的権威、多声的権威がほぼ時系列的に語られている。二十世紀の民族誌の伝統は、訓練を受けた人類学者が「参与観察」という特権的な「経験」を蓄積し記述すること、というかたちで、それまでの「現地」にかんする語り――旅行記、行政官による記述、宣教師の記録など――とは違った権威を獲得するところから出発する。しかし、「現地人」の生活への「参与」と、そこからの距離を前提とする「観察」との両立を素朴に前提とすることによって成り立つ経験的権威は、その基盤の曖昧さゆえに批判されざるをえないことから、より周到な人類学者像が登場する。すなわち、「そこにいた」という経験の断片を「文化」という全体を成り立たせるテクストとして解釈する、解釈者としての人類学者であり、その限りでの権威である。しかし、こうした解釈的権威にたいして、人類学者と「現地人」との置かれている植民地的コンテクストの不可視性や、解釈の非相互性(解釈する人類学者と解釈される「現地人」との非対称性)への批判も向けられてきた。そこで姿を現すのが、民族誌を人類学者とインフォーマントとの相互交渉によって構築されるテクストと位置づける対話的な民族誌観である。対話を全面に打ちだすことで、民族誌家の権威は変容を被り、あるいは対話する両者に再配分される可能性が出てくるわけだ。とはいえ、対話を記述するという構えをとる場合でも、じつはそれを「書く」のはつねに西洋人の民族誌家のほうにあるとすれば、やはり権威の最終的審級は民族誌家に存するのではないか。そうした問いの先にクリフォードが垣間見ているのは、「現地人」による複数の記述を導入する、多声的民族誌である……。
(178-179)

要するに、この論文でクリフォードは民族誌の権威の保証についての類型を分類して、それぞれが抱える問題点についてコメントしているのだ。間違ってはいけないのは、経験的権威、解釈的権威、対話的権威、多声的権威のどれが悪いとか、どれが良いとか言う話ではなくて、民族誌を書く、もうちょっと言えば、文化を表象するということに常に付きまとう権威の良い点悪い点を正しく認識しましょうね、言っているのだ。この論文の結語を見ればわかるだろう。

経験的、解釈的、対話的、そして多声的なプロセスは、どんな民族誌のなかでも不協和音を発しながら作動しているが、そのような民族誌を首尾一貫した体裁のもとに提示するならば、全体を統御するひとつの権威モデルを前提とすることになる。私が主張してきたのは、無秩序なテクスト的プロセスにこうして一貫性を課すということが、いまやひとつの戦略的な選択の問題として、避けて通れない事柄になっているということだ。私は、個々数十年のあいだに可視化されてきた、複数の主要な権威のスタイルを見分けることを試みてみた。民族誌的著作というものが生きているとすれば、そして私自身もそう信じているが、そうだとすれば、それは民族誌がこれらの複数の可能性のなかで、と同時にこれらの可能性に抗って闘っている限りにおいてのことなのだ。
(74)

民族誌を作るにしろ、博物館/美術館での展示を行うにしろ、それをある程度の秩序によって理解できるものとして提出するには、それを保証する権威が必要となってくる。そして場合によってその権威は、ある抑圧的な作用を及ぼしたり、場合によっては誤表象が起きる。
今回の村上隆の展覧会にまつわる議論は、当初はベルサイユ宮殿という場所との関係で起こったものの、「オタク」という一つの文化を表象する権威は何かをめぐって議論されたと考えるといろいろ理解できる。村上隆がハイコンテクストなオタク文化を「翻訳」しているんだと説明すれば、「いやそれは明らかに誤訳である」というような反論が返ってきたりするあたりすごく納得がいくところである。
ところで村上隆オタク文化を表象(「翻訳」)するにあたって掛金となっている「権威」はクリフォードが分類したもののどれに当たるのだろうか?村上隆の本人の言によると、彼自身もオタクであるから経験的権威はあるのだろう(私はそこにいたbe there、オタクの現場を知っている、そういった意味での権威だ)。また、彼は芸術家としてオタク文化を解釈的にも見ているだろう。ただその時、彼が手にしている解釈のツールは何か定かではない。他方、対話的、多声的な方向性は未だ見えないが、示唆的なものはある。例えば、彼のカオスラウンジに対する大きなコミットメント、また破滅ラウンジに対する過大評価とも言える賛辞を見ると、彼がより「現場のオタク(ないしはギーク)」との協同作業に関心を示しているようだ。
しかしながら、件の議論で村上隆オタク文化を「翻訳」するため担保としているものについて、はっきりとした発言はなく、むしろ「アート」の文脈を強調する発言が散見される。確かに、村上隆のフィールドはアートであってオタク文化そのものの中ではない。しかしながら、アートという文脈である文化の「翻訳」を行うならば、彼に対しての批判、非難、バッシングを「アートの論理を知らないから」と切り捨てるのはあまりにも配慮に欠けるだろう。
民族や伝統的な文化的統一性とオタクというサブカルチャーの統一性を同一視して、おなじロジックで文化の翻訳に関する政治的問題を考慮することには、多少、議論の余地があるだろう。しかし、何にせよ多くの民族的伝統やアイデンティティが社会的に構築されたものとして理解され、その構築されたものに対するアイデンティティと政治が問題化するのであったら、オタク文化にも同様の議論が成り立つ可能性は高い。たとえ、それがあからさまに「作られた伝統」であっても。