最先端の言語学

えー先日に引き続いてピンカーの本を読了。
言語を生みだす本能〈上〉
ティーブン ピンカー Steven Pinker 椋田 直子
4140017406

言語を生みだす本能〈下〉
ティーブン ピンカー Steven Pinker 椋田 直子
4140017414

今回は言語プロパーのお話だから少々専門的ではあった。お話の基本路線は言語は人間の生得的な機能の一つであり、進化論的に発生したというもの。論調は以前の心のお話と一緒だが、チョムスキーの理論などをより詳しく解説してくれる。でも例が当たり前だけどすべて英語だから、翻訳の問題もあって直感的には理解しにくい。
『人間の本性を考える』を読了した後なので大筋の議論に関しては繰り返しになるところが多い。それよりも言語に関わるトリビア的な知識が面白かった。中でもこれはトリビアというか都市伝説のガセネタであったと初めて知って衝撃であったのが、イヌイットの雪を表す言葉がたくさんあるというお話(上85ページ)。常々、文化的な相対主義に陥りやすい文科系の学生としては、概念が言語によって決定付けられている根拠としてこのイヌイット神話を引き合いに出してしまうが、どうも根拠はないらしい。なんにしろ全体的にマーガレット・ミードのお話を含めても、20世紀の人類学ってどうしてこんなにガセネタをつかまされているのだろうと思ってしまう。下巻でピンカーが若手の人類学者から『人類学的誤診の100年』を出版しようと思っているという手紙をもらったと書いているが、出版されるならぜひ読んでみたいものである。「こんな考え方を公表したら、一生職に就けそうもありませんから、本を早急に仕上げるつもりはありません」って言ってますが、そういう時はペンネームや偽名でもなんでも出してほしいものだ(下巻267ページ)。
ほかにネタとして楽しめるのは統語論と意味論が独立しているという話で例としてあがるチョムスキーが考えた意味不明な文「色のない緑の概念たちが猛烈に眠る」という文とかマーク・トウェインがロマンティックな自然描写をパロった文など。これらは確かに意味不明なんだけど、文法規則に則っているがため、なんらかの意味を感じさせてくれるから味わい深い。この辺をラカン象徴界とかのお話と一緒に論じた詩や文学論ってのはありそうだな。あと最近はやってる恐怖のナポリタン系の謎解き話もこれに似た側面がある。「恐怖のナポリタン」を説明するのはむずかしいんだけど(実物を見てもらったほうがいい。http://cross-breed.com/archives/200404271838.phpなどを参照)、要するに統語論的にも意味論的にも正しいんだが、語用論的に文脈になる情報が少ないために謎めいた怪談みたいなものだ。クイズみたいにみんなで推論してその怖さを探り当てるのが流行っている。例えばはてなでもhttp://q.hatena.ne.jp/1173097696こんなコンクールが行われている。これらの遊びが怪談に通じているというのは、人間の言語的な想像力の限界あたりに恐怖が潜んでいることを伺えてなかなか面白いし、フロイトラカン的な精神分析的解釈とも親和性がありそうだ。そしてこの部分以外にもこのような認知科学的な言語学は実は大陸の精神分析学との親和性が高いと思われる。ピンカー自身はフランス現代思想やなんかを馬鹿にしている感があるが(フロイトに関してはそれなりに評価しているようだが)、ラカンやなんかの理論は確かに非科学的な部分も多いが認知科学の発達によって科学的にも裏付けられることも多いような気がする。今後、20世紀には犬猿の仲であった精神分析と心理学やなんかが融合するようなこともありうる気さえするのだ。
最新の言語学について概観するにはよい本ではあるが、人文系一般教養としては『人間の本性を考える』のほうをお勧めする。