ポピュラー音楽学におけるジャンル論の簡単な(いい加減な)まとめ、というかメモ
自分の研究発表を控え、ポピュラー音楽学においてジャンルという問題はどのように論じられているかを、とりあえず日本語で読めるものでチェック。自分は現代の言語哲学系の美学の議論において、このポピュラー音楽におけるジャンルという問題をどう扱えるのかを論じるので、まず全体の学説などを検討しておくことにする。
「ポピュラー音楽におけるジャンルとはいったい何か?」、「それはポピュラー音楽を理解する意味でどのように重要か?」という問題設定が特段、アカデミズムにおける研究に限って重要だというわけではない。「ある音楽がどのジャンルに属するか/属さないか?」、「音楽を理解するうえでジャンルは重要か?それともジャンルなんて関係ないのか?」といった議論はポピュラー音楽のファンやオーディエンスといった需要者によって日常的に議論されるものである。さらにポピュラー音楽を媒介する音楽雑誌、ラジオ、TV、小売店といったメディアや、ポピュラー音楽を生産するレコード会社、さらにはミクロな意味での生産、つまりはポピュラー音楽を「創造する」ミュージシャンやプロデューサーやエンジニアにとっても、これらのジャンルに関する問題は非常に重要である。広範な地理、歴史にまたがった多種多様なポピュラー音楽という文化の実践において、ジャンルとはその差異と同一性を際立たせる重要な指標となっているのだ。
以下、これらの問題がポピュラー音楽学という学問においてどのように理解されてきたかを次の三つの側面で概観する。以下の三つの分類はポピュラー音楽における作り手、受け手、媒介という基本的な三つの分類に従ってまとめているが、これは議論を整理するための恣意的な分類に過ぎず、ここから漏れ出る問題設定や学説が存在したり、一つの問題が他の側面と関わる可能性は十分にありうるだろう。
- ジャンルと創造性
- ジャンルとアイデンティティ
- ジャンルと音楽産業
まず最初に「ジャンルと創造性」の問題に関して。
この点に関する一番重要な研究はジェイソン・トインビーポピュラー音楽をつくる―ミュージシャン・創造性・制度の第四章である。本書は「創造性」というこれまでポピュラー音楽学で正面を切って論じられなかった問題を「社会的作者」、「創造半径」といった言葉において描こうとする。これらの熟語とブルデューの〈場〉とハビトゥスの関係における文化的実践の論理から、トインビーは以下のようにジャンルの重要性を語る。
ジャンルの重要性は、場のなかのいくつかの可能態を音楽制作者の耳元に届け、ほかのものを切り捨てるフィルターとして働くことで、それがハビトゥスと作品場のあいだの直接的な結びつきを確保していることにある。さらには、ジャンルの束縛によって、音楽を構成する響きを生産的に秩序づけるための根本的な条件が用意されるとさえ言えるかもしれない。
pp. 252
トインビーはこのアプローチがジャンルを形式的な属性のまとまりとして捉えてるいる点で一面的なことを認め、実際には、あるテクストがその属するジャンルの特徴を全て備えているとは限らず、ジャンルという言葉が「テクスト的な本質でも、包括的な規則でもない、つかみ所のない述語である」と主張する。オーディエンス論や産業論でのジャンルに関する議論(上記の2、3に相当)を概観した後、トインビーはポピュラー音楽のジャンルの不安定性を説明するため、ツヴェタン・トドロフやフランコ・ファブリの議論などを参照しつつ、この問題の突破口として映画のジャンル論であるスティーヴ・ニールの議論を援用する。トインビーは「ジャンルというものが静的な分類のシステムではあり得ないということを認め」た上で、その独特の不安定さが、ニールの映画のジャンル論で言われる「最初の快楽の経験を反復したいという欲望」とその「快楽の経験を繰り返すことの出来ないため」におこる反復にあると主張する。
ジャンルは、一定の変動幅のなかに収まる複数のテクストを横切って欲望が維持されるようなやり方で、反復と差異を制御するように機能するのである。(中略)なるほど、ハードコア・ミュージシャンは常に「同じ」音楽に回帰しようと企てるのだが、そうしながら理想的な、根源的な美的効果を達成しようともがく(しかし失敗する)なかで、彼らの音は抑揚がついていくのである。意識的なプロセスであろうとなかろうと、音楽制作の物質的実践のなかに私たちはこれを聴きだすことが出来る――これは、ハードコアだけではなく、全てのジャンルについて当てはまることである。ここで賭けられているのは、音楽的パラメーターのスペクトル内における反復の限界を探求することなのではないだろうか。
pp. 290-291
このようなポピュラー音楽の生産――反復しつつも新たな変奏を生み出す――を駆動させるジャンルの不可避性を、トインビーはデレク・ベイリーやジョン・ゾーンといった「フリーミュージック」と呼ばれる事例においても主張する。これらの音楽においては実践者たちがなんらかのジャンルに属していることを拒否しようという傾向があるにもかかわらず、実際には「自由」を目指すうえでその「基準点」である様々なジャンル規範の存在を認めているのである。
よって以上のことから、トインビーは「個々のジャンルの内容定義には困難が伴うものの、テクスト生産のレベルにおいては、ジャンル概念なしでは何も為しえない」、そして「ジャンルというものが、収斂性を持つと同時に創造的動作には欠かせない出発点を提供するものだということは認めざるを得ないはずだ」と主張する。もちろんトインビーはこのような生産を駆動させるものとしてのジャンルが、ミュージシャンの創造の場だけで成り立っているのではなく、オーディエンス、産業といったポピュラー音楽全体を縦断する形で成立していることも様々な他の研究を参照することによって確認する。そのようなジャンルとオーディエンスの共同体、音楽産業との関係性を、トインビーは人種音楽、クロスオーヴァー、メインストリーム、過去の正典という四つの事例において探求するが、それはすでに音楽の生産の場におけるジャンルという問題を凌駕して、上記の2、3の問題に大きく踏み入れているので割愛する。
関連文献:
Fabbri, Franco‘A Theory of Musical Genres: Two Applications’, in P. Tagg and D. Hom(eds), Popular Music Perspectives. (1982), Exeter: IASPM.
Neal, Steven Genre. (1980), London: British Film Institute.
2、3についてはまた次回。