ダウンシフター

減速生活。
このところ日記を更新していないのは取り立てて書くこともなく、貧乏でひたすら自炊したりしてるだけなのだ。生きている。
一日の支出が300円程度のミニマルな生活を送っているとわかるのは、やはり現代人の欲求ってのは必要から生じるもんではなくて社会的に生じるのは確かであるということ。つまりこんな生活を送っていても実際には苦ではなくとも、消費社会に取り残されたような疎外感はあるということである。

浪費するアメリカ人―なぜ要らないものまで欲しがるか

浪費するアメリカ人―なぜ要らないものまで欲しがるか

この本には90年代からアメリカ人が自らの生活の準拠軸を隣人に求めるのではなく、テレビなどのメディアに登場する一部の金持ちに求めるようになったことが現代の浪費生活を生み出し、収入と支出の不釣合いが起こっていることなどが書かれている。思えばそれは現在のセレブブームのことを指しているのである。*1
日本でもこの傾向はもうすっかり定着していて、先日何気に見た男性ファッション誌になんかでもセレブなどの言葉は誌面に踊っていたのである。いつの時代もお嬢様にあこがれる女子とは違って、基本的に男子の戦後のユースカルチャーってのは60年代のカウンターカルチャーをひとつの手本として、社会構造の下方向への卓越化を行うもんなのだが、00年代にはこうも露骨に上層の文化を手本とするようになったのだなと感慨はひとしお(?)だったのである。まあそれでもその男性誌において紹介されているセレブとやらはただの高給取りではなくて、デザイナーなんかのいわゆるカウンターカルチャーが出てきた後のオルタナティヴな文化の産業における職種だったりはするのだけれども。

*1:この本ではまだセレブって言葉は使われてないが

最近のへヴィーローテ

ドクター・ジョンにはまってるのである。オリジナルも図書館で聴けるだけ聴いた。どれもほんとハズレなしだが、結局はベスト盤を一番聴いてたりする。
昔はベスト盤ってもんに凄く抵抗していた時期もあったけど最近は苦手な分野なら(おもにR&Bとかのブラック)ベスト盤を聴くこともあるのだ。そもそもこのアンチ・ベスト盤、オリジナルをはじめっから最後まで聴きとおすってのは偏屈ロックリスナーの悪いクセであり未だにそこから抜けきれていない俺がヒップホップの名盤とかを最初から最後まで聴きとおそうとするとつらくなってしまうという罠があるわけである。
ドクター・ジョンに関してはまだあの有名なファーストが未聴であるのが口惜しい。このベストに入ってる3、9、13あたりから予想すると噂通り怪しい音楽であるのは予想できる。

リファラにまつわるエトセトラ

自分にとって非常にうれしいことは、こんだけはてなで日記を続けてきても未だにリファラのトップがhttp://jprl.org/ であることだ。つまりこの日記を一番良く見てくれてる人は、俺がノーザンショックの死に舞であるから見ている人であるということなのだ。しばしば更新が滞っているとどんどんhttp://jprl.org/から来るアクセスが増えてくるので、更新せねばと思う。
先日、うちのバンドのメンバーからきいたが、たまたま同じゼミの人がわれわれの音源を持ってるというそうだ。たいしたテクニックもなくいままで音楽を続けてこれたのもこういうふうに何らかの形で注目してくれる人がいたからだと思う。今年はあんまり活動できなかったけど、来年はもっとライブがしたい。生きてる限り曲を作り歌っていたいと思う。